1970年の大阪万国博覧会

1970年の大阪万国博覧会

万博のおもひで

2025年、55年ぶりに大阪で万博が開催されることになったらしい。

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若い人に伝わるといいのだが、我々の世代は“大阪万博”に特別な感情を持っている。

今から半世紀前の、1970年3月。

大学生の春休み、私はアルバイトで大阪にいた。

船場商人が建てたホテルの宿泊客受け入れ準備の手伝いだった。

「生き馬の目を抜く」と言われるだけあって、ホテルは安普請で、現在なら考えられないが空調設備がなかった。

未だ寒い3月。宿泊客は部屋に入ると震えていた。

私の業務内容は、海外からの訪問客向けの英語の案内板やパンフレットを作成することだったが、当時そんな安ホテルに宿泊する外国人は皆無だった。

それはともかく、仕事の休み時間を利用して開催中の大阪万博には3回足を運んだ。

一番人気であったソ連館とアメリカ館がやはりよかった。

ロケットや月の石を見た。

船場商人のアルバイトを終えた後、今度は夏場に、海外技術協力事業団(現JICA)の仕事で、発展途上国の研修生を引率してさらに4回万博を見学した。

研修生たちは、母国ではそれなりの地位にある人達であったから、彼らの国のパビリオンでは私までVIP扱いを受けたものだ。

万博に魅せられた懐かしい日々だ。

岡本太郎とウルトラマンと

大阪万博を象徴する太陽の塔の意匠は、芸術家の岡本太郎さん。

彼は縄文土器の美しさを発見した人でもある。

縄文時代が終わって3千年。

その間、縄文土器に普遍的な芸術性があることに誰も気づかなかった。

彼一人が初めてそこに「美」を見出だしたのだ。

ところで太陽の塔についている顔はウルトラマンに似ている。

太陽の塔とウルトラマンもどこか縄文的である。

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