【判った気になれる特殊相対性理論その1】ニュートン力学の限界

【判った気になれる特殊相対性理論その1】ニュートン力学の限界

光速度の謎

19世紀後半、「光は波」というのが科学者たちの大方の認識であった。

であるならば、それを伝える媒質があるはずだ。

宇宙空間全体を満たしているはずのその媒質を、とりあえず「エーテル」と呼んでいた

しかし現実にエーテルが存在するのあれば、その中を運動する地球はエーテルの抵抗を受けて、次第に速度が遅くなり、やがて太陽に落ちて行ってしまうはず。

しかしそんな気配はない。

では、エーテルの中の光の速度を実際に計測してみよう、ということになった。

そんなわけで、19世紀から20世紀の初めにかけて、光の速度についての様々な実験が行われた。

有名なところでは、1887年アメリカの「マイケルソン・モーリーの実験」がある。

それまで確実に存在すると考えられていた、宇宙空間を満たしている「エーテル」の中を回転しながら突き進む地球から発せられた光は、向かい風となるエーテルの影響を受けて速度が遅くなるはずであったが、実験結果は否と出た。

光Aはエーテル風の影響で速度が落ちると思われていたが、光Bや光Cと全く同じ速度が計測されたのだ。

実験は失敗に終わった。つまり、どの方向に放たれても、順風だろうが逆風だろうが光の速度は一定であった。

この結果は当時の科学者たちを疑念の渦の中に叩きこんだ。

「エーテル」の存在は疑わしく、光の速度は常に一定で、ニュートン力学でいうところの「速度合成の法則」が成り立たないことが分かったのだ。

物理学にとって大変な事態であった。

それまでは、ニュートン力学さえあれば、宇宙における全ての運動を説明できる、としてきたのだから。

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電磁気学的見地から

上記の実験より少し前、電磁気学(電気力学ともいう)という新しい学問が誕生した。

電磁気学は、貧しい環境に生まれたせいで十分な教育を受けられず、数学の教養を欠いていたが、実験において天才的な手腕を発揮したマイケル・ファラデーと、裕福な家庭に育ちケンブリッジ大学で学んだ数学の天才ジェームス・マクスウェル、対照的な二人のイギリス人物理学者が共同して、19世紀後半に理論化した。

電磁気学は、それまで世の中に君臨し、万能と考えられていたニュートン力学と合致しないところがあった。

ニュートン力学が大前提とする、静止していて宇宙のどこに行っても同じ絶対的な空間および、どこでも同じ間隔で時を刻む絶対的時間という考え方では、電磁気学が明らかにした、「光という電磁波の速度が、光源の速さや観測する者の運動状態と全く無関係で、常に同じ速度の秒速30万kmである」ということを説明できないことを明らかにしてしまったのだ。

つまり、ニュートン力学は、ファラデー&マクスウェルの電磁気学と、前段のマイケルソン・モーリーの実験結果の2つと不一致を起こし、限界をあらわにしてしまったのである。

困惑する物理学者たち。NewtonがOldtonになってしまったのだ。
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青天の霹靂(Out of the blue)

そんな情況の中にあって、まさに「青天の霹靂」。英語で言うとOut of the blue。

名もない1人の男が、空間と時間について従来のものとは真逆の考え方を提示した。

1905年。アルバート・アインシュタイン26歳。

特殊相対性理論の誕生である。

アインシュタインは、上記の不一致をなんとか解消しようとして、全く新しい観点を導入したのである。

すなわち、どんな状況下にあろうと、またどんな状態にある人が観測したとしても、光速が絶対的に不変であるなら、ニュートン力学が前提とする絶対的な空間と時間という考え方を捨てようではないか、と

そして、空間と時間を可変なもの、「相対的なもの」として扱うことによってのみ、不一致が解消されることを論じ、人々に常識の180度転換を迫ったのである。

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