マレーシア駐在時代
1981年から1984年にかけての3年間マレーシアに駐在して、当時、同国最大の企業でありながら未だ若い組織、国営石油公社ペトロナス向けのプロジェクトを数件受注した。全て石油関連設備である。
その中にペトロナスにとっては国内初となった、液化プロパンガス(LPG)施設がある。LPGを生産する遠隔地の製油所からタンカー船にて運び入れ、貯蔵し、陸路にて配送するための設備である。観光地で有名なペナン島近く、本土側のプライという町に建設された。
当時のマレーシア首相は着任間もないマハティールさん(笑)。日本に見習えということを政策の基本に据えた。
スローガンは「Look East Policy」。
ちょうどNHKの「おしん」が大ヒットしたこともあり、国を挙げた日本ブームとなっていた。
自前のエネルギーを開発し、国としての自信にあふれ、国土のいたるところで建設開発が怒涛の勢いで進んだ。
日本の建設会社が全て進出して次々と大規模開発に参画していった。
日本勢が受注した建築案件だけで数千億円規模にのぼったはずだ。
当時はマレーシアという国の勢いと、日本建設業の勢いが同じ上昇カーブを描いて、巨大な波を形成したような感があった。
一国の首都としては小規模であるクアラルンプールに日本人が目立つようになり、日本式スーパーマーケットや和食レストランが雨後の筍のように開業した。
マハティールさんの日本びいきは本物だった。
日本人駐在員からの様々な依頼に、それが公的か私的かを問わず積極的に応じてくれた。
駐在員の会の名誉会員にもなってくれた。
ペトロナス社内でも日本への関心は高まり、日本文化を披露するためのイベントがいくつも企画された。
私の所属していた会社も、茶の湯や生け花を紹介した。
余談
当時覚えたマレー語を少々。
人間は「オラン」、米は「ナシ」、魚は「イカン」なのです。
森は「ウータン」というのでオランウータンは「森の人」という意味である。
道は「ジャラン」。歩くことは「ジャランジャラン」。
マレー語は比較的若い言語であり、近代的概念は英語に頼っている。
国会は「パーリアメン」で、国家は「ナショナル」。
日本人にとって親しみやすい言葉である。