宇宙最速の光
質量がない光はエネルギーそのものであり、その移動速度はこの宇宙の中で最速である。
質量があるものは絶対に光速度にいたることがない。
何故なら、モノの速度を上げようとしても、加速のためのエネルギーの一部が質量に化けてしまうからだ。
これは困った!
質量が増加すれば重くなるので加速のためのエネルギーはさらに必要となる。
そこで必死の思いで仕入れた加速エネルギーの一部は、またしても質量に変わってしまう。
こういうわけでモノは光速に近づくと速度はほとんど変わらなくなる。
加速エネルギーはその全てが、質量へと変化してしまう。
永久に光速に並ぶことはできないのだ。
毎日痩せる思いで稼いでくる父ちゃん。そのお金で三越に行って高額な洋服や装飾品を頻繁に購入する嫁さん。
父ちゃんはいくら稼いでも常に余裕はない。福々しい嫁さんとは対照的に絶対に太れない。
たまに駅前の赤ちょうちんで冷酒を一杯やって憂さ晴らしをするのがせいぜい、そんな図式はちょっと相対性理論に似ているかもしれない。
亜光速宇宙船の旅
女性陣に石を投げられそうな冗談はともかく、われわれの日常生活においては、「速いもの」といってもジェットエンジンを搭載した飛行機くらいしかなく、その到達速度はせいぜい秒速300メートルほどだ。
この程度のスピードは、光速と比較すると「静止」しているようなものだから、パイロットは時間の遅れや空間が縮むといった現象を感知することはできない。
しかし、光速の半分、あるいはそれ以上の速度をもつロケットが仮に実現したとすれば、これに乗った人間は「時空の伸縮」を十分に実感できる。
例えば亜光速まで加速できる宇宙船を想定してみよう。
仮にこの宇宙船が、光速度の90%以上の速度(秒速27万キロ以上)を得てどこか他の星まで行って地球に帰ってきたら、搭乗員の体感時間では数日しか経過していないはずなのに、地球では数十年の時が流れていた、なんてことになるだろう。
そして絶対にありえないことだが、もし、光速に等しい速度までロケットが加速できたとしたら、搭乗員に流れる時間は止まる。
宇宙の果てと言われる135億光年先まで旅をして戻ってきても、中の人間は一切歳をとっていない。
彼もしくは彼女は、出発したときのまま。
もっとも、彼らが戻って来た頃、地球はとっくに太陽に飲み込まれて跡形もなくなっているはずなので、彼らはひどく寂しい思いをすることになるだろうけど。
ウラシマ・エフェクト
昔話「浦島太郎」は、亜光速にて加速運動する宇宙船に乗って、遠い宇宙の何処かを旅してきた宇宙飛行士の話と理解すると面白い。
体感時間では、ほんの数日間。しかし実際には数十年間の時が流れていた。
日本のお伽噺の結末が、アインシュタインの理論の帰結と同じなのだ。
このような、宇宙飛行士の身に起こるであろう現象を日本の科学者たちは、自国の名誉のために「ウラシマ効果(Urashima effect)」と呼ぶ。
「ウラシマ効果」は当然ながら、日本以外ではあまり通じない(たまに通じることもあるらしい)。
英語圏では、浦島太郎によく似たアメリカのワシントン・アーヴィングの短編小説『リップ・ヴァン・ウィンクル』から、「Rip van Winkle effect」として知られている。