頑固が取り柄
アインシュタインは、興味を持った事柄に対する執着心には相当なものがあったが、逆に関心の外のモノゴトに対しては、栓を抜いて一日経った後のビールのように気が抜けていた。
スイスでの大学受験の際も、数学は抜群の成績をとったのに、興味がなかった植物学や動物学、語学の出来が悪く一年を棒に振っている。
後年、自身の性格について問われたアインシュタインは、自分はロバの如く頑固であり、それが他者よりも優れている点であると答えている。
アインシュタインは子供の頃、父親にプレゼントされた方位磁石に夢中になった。
何故針は常に北を指すのだろうか。
このことが、彼の興味を物理に向かわせる端緒となったのかもしれない。
ちなみに私が主催している英会話教室に通う小学1年生の女の子に、磁石を手渡してみたところ、ネックレスの飾りになるかどうか確認した後、興味を失って放り出してしまった。
誰もがアインシュタインのように、物理に興味を持つわけでは当然ない。
来日の思い出
総合雑誌『改造』で知られた改造社の山本実彦氏の招待により、1922年の晩秋から初冬にかけてアインシュタインと妻のエルザは日本を訪れている。
フランス・マルセイユ発、日本郵船の北野丸に乗って遠路はるばるやって来たわけだ。
東京、仙台、名古屋、大阪、京都、福岡にて計8回の講演を行い、どこでも熱狂的な歓迎を受けた。
滞在日数は43日に及んだ。
アインシュタインは以前から、行き過ぎた個人主義の西洋とは異なる思想を持つ東洋に強い関心があり、またラフカディオ・ハーンの言う美しい日本を自身の目で確かめたいとの想いがあった。
記念すべき来日第一回講演は、慶応義塾大学三田キャンパスで行われた。
1922年11月19日、2,000人以上と言われる数の聴衆が6時間に渡って、特殊及び一般相対性理論の説明を本人から聞く幸運に恵まれた。
その時も(またそれ以後も)アインシュタインは身だしなみに無頓着で、綻びが目立つ質素な上着に、ヨレヨレのネクタイ、頭髪はボサボサのままであったそうだ。
日本に寄せる想い
来日時、アインシュタインは噂で耳にしていた日本人の素朴さ、優しさ、人懐っこさを肌で実感した。
また科学に対する真摯な態度、教えを請うた西洋の科学者に寄せる「これ以上はない」と思わせるほどの尊敬の念に、感銘を受けたという。
来日の目的のひとつ、日本の自然の美しさにも期待通り感嘆した。
彼が巡ったのは、富士山の周辺、山麓の鄙びた農家、そして瀬戸内海の島々だ。
彼の航海における日本の入り口は瀬戸内海であった。
紅葉する島々の美しさをたっぷり堪能したことだろう、ひょっとすると瀬戸の花嫁姿を目撃したかもしれない。
アインシュタインは、国際情勢に対応するために日本が、西洋文明の取得に躍起になっていることに理解を示しつつも、そのことが日本人から、古来から続く伝統や性根の優しさを奪ってしまうのではないかと、危惧の念を抱いていたという。
アインシュタインは、日本を発つ際、この国の印象を「絵の国、詩の国」と表現した。
それほどに日本の自然の美しさと、その自然と共に生きる情緒豊かな日本人に強い印象を受けた。