民を救ったおイモたち
プロイセン王、フリードリヒ二世はドイツにジャガイモを持ち込み、国民のジャガイモ栽培を奨励、みごと食糧危機を克服したことでも有名である。
今では考えられないが、当時、民衆はジャガイモの外観が「醜い」ので食べることを嫌がったが、王自ら食して範を示したそうだ。
このプロイセン王と、わが青木昆陽さんは同時代の人である。
どちらも芋をもってして民衆の救済にあたった偉い人というわけだ。
私の千葉県旭市の田舎には、サツマイモ畑があった。
夏休みに祖母の家に遊びに行くと、採りたての芋をふかしてくれたものだ。
千葉県はなんでも採れるが、サツマイモとスイカと落花生は特に有名である。
そのサツマイモの栽培を東日本で初めて行ったのが昆陽さんである。
彼はその地に千葉県の幕張と九十九里を選んだ。
だから千葉県生まれの者としては、昆陽さんに親しみを覚えるのだ。
石ころのようなコロッケ
私が小学校1年生のときに暮らしていた旭町の駅の近くに肉屋があった。
そこのコロッケは、当時肉が貴重だったせいか、中身の餡におけるジャガイモの占める割合が圧倒的に多かった。
それなのにとても美味しかった。
当時刷り込まれた肯定的な思い出のせいで、今でも肉の割合が、宇宙空間における星のごとく希少なコロッケが好みである。
三つ子のコロッケ百までも、というわけだ。
それから幾年も経過した2002年秋。
仕事でオランダに赴任することになり、現地にいってみたら「コロッケ」なる食べ物が存在するではないか。
ところが注文してみるとこれが、見かけは日本のコロッケにそっくりなのだが、歯が立たないほど固いのである。
まずもってフォークが刺さらない!割るにはハンマーが必要なほどだ。
レストランの名前は忘れたが、ユトレヒト郊外、ライン川支流にかかったゴッホの絵にあるような白い跳ね橋を臨む、地元の人間しか入らないような店のメニューであった。
もちろん、オランダで食べた最初で最後のコロッケとなった。
コロッケは、大正時代に欧州から日本へもたらされた洋食の一つらしいが、換骨奪胎、日本のコロッケこそが一番うまい、私はそう確信している。