今から半世紀前、1970年6月後半の晴天に恵まれたある日、元ゼロ戦パイロットが操縦する、地質研究所所有のYS-11に乗った。
札幌丘珠空港を離陸しての約30分間の飛行。
地上数百メートルの低空を飛び、機内に設置された様々な探査機械を使いながら北海道の地質を空から調査するその様子を、サウジアラビア、フィリピン、インドなどの海外からの研修生に見せるためであった。
その時私は、研修生の世話係として、アルバイト先のOTCA(海外技術協力事業団)から派遣されて同行していた。
搭乗すると、スチュワーデスの笑顔や飲み物のサービスが無いかわりに、武骨な男たちにより機内を案内された。
操縦席にも座らせてもらえた。これでこの飛行機が好きになった。
YS-11のYSは設計を行った組織、輸送機設計研究協会の、輸送(YUSOU)と設計(SEKKEI)のYとSで、11は設計に用いた資料の番号らしいが、YとSがそんな感じなら11で「いい」飛行機の意味ということでいいのではないかと、勝手に思っている。
敗戦後、GHQの命令とやらで、日本は飛行機の製造を禁止されてしまった。
生産が可能になったのは1952年ごろ。
それから通産省が中心となり、航研機、ゼロ戦や隼などの軍用機を手掛けた設計者、木村秀政、堀越二郎などの有力者が集まってYS-11は誕生した。
エンジンにはロールスロイス製のダートが採用された。
ダートは1947年に、実質的に世界初のターボプロップとして開発された信頼性の高いエンジンである。
なお、ダートは英国の河川の名称である
川の流れのように回転が滑らかであれとの願いがこめられているのかもしれない。
もとい、YS-11の製造は日本航空機製造。初飛行は1962年のこと。
設計者が軍用機の専門家だったせいか、この機体は頑丈ではあったが、コスト高であったため、生産数は182機と少なめ。
1972年に製造を終了している。
なお、本文中のエンジンのイラストは筆者のだいたいの印象に基づくものなので正確ではない。
このイラストを元にエンジンを製作し、それが動かなかったり稼働中に破損、溶解などの不都合が生じても、こちらとしては一切責任を負うつもりがないことをここに明記しておく。
悪しからず。