飛行中にお邪魔したジャンボジェットの操縦室の話

飛行中にお邪魔したジャンボジェットの操縦室の話

憧れのコックピット

海外で働くことが好きということもあって、年がら年中飛行機に乗っていた私は、あの計器類のゴチャゴチャが眩暈を生じさせる操縦室に、それも博物館の模型などではなく、大空を飛んでいる最中のジャンボジェットのコックピットに入ることに憧れを抱いていたが、1987年の夏に実現した

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シンガポールから東京に向かう、シンガポール航空のボーイング747の操縦室に入れてもらったのである。多分沖縄の手前上空であったと思う。東南アジアと東京を結ぶ航空路は、エメラルドの海に囲まれた沖縄の近海上空を、西南もしくは北東の方角に飛ぶ。

そもそも、ジャンボとの最初の出会いは1970年であった。大阪では万博が開催中であった。その時は通訳のアルバイトとして、アジアその他から日本の沈埋管工法や凍結工法などの特殊トンネル工事を学びに来ていた研修生と共に、羽田近く、それも滑走路の見える位置に偶然いた為、デモフライトとして離陸上昇するジャンボの一際大きな姿を目撃することが出来たのである。

この後、日本航空は747を就航させ、やがて、その保有機数において世界一の地位を占めるに至ったのだ。同社にいた友人がそれを自慢していたものだ。本家アメリカの航空会社よりも多い。多分、アメリカはパイロットにしろ、設計者にしろ、整備士にしろ、航空機の専門家が山の様にいるから…趣味で飛行機を造って飛ばす人も多い…結構古い機材でも修理しつつ長く使う傾向がある上、中型・小型を多く運用することで飛ぶ頻度を上げているように見える。その方が利用者からすれば便利だ。だからジャンボも少ないのだろう。

そして、私としては驚いたことなのだが、日航は国際線だけでなく、正味飛行時間にして僅か40分という、羽田―伊丹間などの国内線にても使用するようになった。あの重い機体を短時間飛行に回すのはもったいない気がしたものだ。

社会人になってから私は、その羽田―伊丹間も含めて、国内・国内共、もう何度ジャンボのお世話になったか分からないぐらい搭乗したものだ。座席がお尻の方の場合、機体の一番前から中に入って、延々と通路を歩いて行くと、この機の巨大さが実感できた。一番後ろの席は、当然、料金の安い、しかも常連客ではない客にあてがわれることが多いのだが、希望すればそこに座ることができる。

そこに座ることの長所は二つあって、割に周りが空いていることが多かったので、長距離飛行時は、座席三つ分ぐらいを占領して寝ることができたこと(現在は料金に柔軟性をもたせて、とにかく満席にて飛ばす方式が採用されているから、目立つ空席なる現象にはもうお目に掛かれない)と、その辺になると機体が尻に向ってぐんと絞られているので、窓からはやや後方の景色が望めることだった。主翼はもう邪魔をしていないので、下界が良く見えた。面白い事に、巡行中の機体は頭がやや上向きになっているので、尻は逆に落ち込んでいることだ。そう、凧のようにだ。通路を前方に向って移動する時は坂道を登るような姿勢になるし、戻る時は坂を下るような感じになる。

どん尻座席の欠点は、荒れる気流の中だと、尻が左右に振れること。人によっては酔ってしまうかもしれない。酔ってしまったらそれはそれでいいことがあるかも。後部客室担当の若いスチュワーデスさん達がやさしくいたわってくれるかもしれない。経験豊富な乗務員はVIPの乗る前方を。新米は後方の面倒を見ているそうだ。

どういう訳か、昔はスチュワーデスと言っていたものを、近頃は客室乗務員とかキャビンアテンダントと呼んでいる。慣れているせいか、スチュワーデスの方が耳によろしい。ま、これはどうでもいいが。

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シンガポール航空にて

シンガポールのことである。人口は五百万と東京都の半分、面積も東京23区より少し広い程度。従って国内線がない、航路は全て国際線であり、いつも優良空港として世界の上位に陣取るチャンギ空港の滑走路を北に向って飛び立つ飛行機は、直ぐに隣の国のマレーシアはジョホールバル―領空に入ってしまう、という豆の如き小さな国家である。しかし、シンガポール航空の営業規模つまり路線網は広く大きい。就航地の数は70都市と世界的である。

シンガポール航空は新しい機体を入手することに貪欲である。日本の会社が様子見としている時に、さっさと、ジャンボよりも更に大きくて総二階建てエアバス380を導入しているのだ。もっとも、380の人気はさほどでもないらしく、もう生産打ち切りの話が出てきている。

シンガポールを見ていると、また、別の分野でオランダやスイス、北欧三国という小国を考えると、減少中とは言いつつも、一億人を超える人口を持つ日本は、もっともっと活躍すべきであると思う他ないが、どうにも国柄が控え目過ぎるのである。それはここでの本題ではないので後日また。

当航空会社は以前からサービスの良さで評判だった。その一つなのだろう、見学を希望する人に操縦室を見せる、との機内アナウンスが流れた。希望を伝えると、何人かの子供や付き添いの大人の後に許された。

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いざ操縦席へ

幅狭の扉から入った。日本国内なら五百人、国際線でも三百数十人を運ぶ巨大なジャンボであるが、操縦室は意外に狭かった。たった二人で操縦するわけだし、窓に近い方が視認性の面からみて合理的なので、わざと狭く造ってあるのだろう。

そう言えば、世界一の超大国アメリカの操縦室であるホワイトハウスの大統領執務室、通称オバールルーム(部屋が楕円形だから)も、大統領の机の前数メートルの位置にソファセットが二つ置いてある他は、壁に沿って一人掛けの椅子が飛び飛びに数脚あるだけの狭い部屋だ。世界に影響を与える決定がかくも小さな場所でなされることには意外感がいっぱいである。でもそうなのだろう。本当に重要且つ緊急で複雑な問題こそ、ほんの少数の者、時には最高責任者一人によって方向は決められるべきなのだ。これと比較すると、日本の大会社の社長室の方がよほど大きい。

ジャンボに戻ってと…操縦士は共にアジア人であった。多分、シンガポールの人だ。ところで、少ない人口の中から操縦士になる比率ときたら、日本などに比べてものすごく高いだろう。操縦士だけではない、法律家、会計士や科学者といった高給取りの比率も高いことだろう。だから、平均すると一人当たりのGDPが高くなるのだ。

で、操縦士の彼らは笑顔で私を迎え入れてくれた。機長席の後ろにある席に座るように勧められた。もう、ほとんど機長と同じ景色が見られるのだ。興奮してしまって、Helloとか、Thank youとしか言えなかった。普段は二人だけの操縦室も、新路線への試験飛行や機長の資格審査の時などは、それ以上の数の関係者が入るのだ。その為に補助座席が置かれている。

風防ガラスの前方に明るい空があった。そう、♪l’amour est bleu…恋は~水色、空と海の色…♪の透明な青と海と、間に浮かぶ真っ白い雲。しかも、それらが静止して見えているではないか。

そして、機内で一番騒音が激しいのはエンジンの後方だけど、そうではなく最前方に位置し、しかも遠いので静かであった。室内至る所にある無数の計器やSW類が、ここが特別の場所であることを無言で語っていた。最近の航空機はTVの如き大きな画面に、随時必要な数値を表示する仕組みになっているし、自動化も進んでいるので、相当にスッキリしているのだが、1980年代は未だIT技術はそこまでに至っていなかった。

副操縦士から、日本へ帰るところか、と聞かれて、そうだ、とだけ答えた。いろいろ聞いてみたい事柄はあったけど、重責を担う専門家達に遠慮をしないといけないような気がして、5分もしないうちにThank you を繰り返して退室したものだ。風防の前方の青が心に残った。

今は、そんな牧歌的な飛行はもう無いだろう。2001年のNine Elevenを境に、空の旅はすっかり変わってしまった。操縦室は一般客に対し閉鎖された空間となってしまった。客の一人として搭乗する際も、ある種の危険を感じるようになった。

開放的な操縦室は、昔の方が良かったと思う事の一つではある

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