ご注意
本稿は『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』のネタバレありのレビュー記事となっております。映画をまだご覧になっていない方は、内容を具に知ってから映画館に行きたいという奇特な性癖でもお持ちでない限り、鑑賞後にお読みいただくことをお勧めします。
結論から先に言ってしまうと、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は僕にとって文句のつけどころがほとんどない大傑作でございました。
本作までの累計で実に23本もの長編映画を連ねるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)、総じてその作品クオリティの平均値が高いことで世に知られています。中でも個人的なお気に入りとして、時折あるMCU初心者の方の「どれから観ればいい?」という質問に対し、「この映画はハズさないはず。」と決まってお勧めするのが、これまでは『キャプテン・アメリカ:ウィンターソルジャー』(2014)、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014)、『マイティ・ソー:バトルロイヤル』(2017)の3本だったんですが、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は完全にこの俺的MCUマスターピースの一角に食い込む出来でした。
これまでで最高のスパイダーマン映画はどれか、なんて不毛な話をするつもりはありませんが、正直、鑑賞前は本作に課されていると思しき「ハードル」の高さとその難易度に、過剰な期待をかけるのを自粛していたのですが、実際鑑賞を終えてみると本作はどの課題についても筆者の想定よりも高く鮮やかにクリアしており、これを実現したジョン・ワッツ監督を始めとする製作陣の手腕には、いさぎよくシャッポを脱ぐ思いです。
上記した本作に課されていた「ハードル」については前記事で「マニア的見どころ」として紹介しましたが、整理すると下記4点になります。
1. 「失われた5年間」の影響は描けているか
2. 「マルチバース」という風呂敷をどう広げるか
3. ミステリオをどう描くか
4. 斬新なスイングアクションを提示できるか
各項目の詳細については手前ミソですが前記事をご覧いただくとして、今回は挙げたらキリがない本作の長所のうち、話を上記ポイントに絞って検証していきレビューに代えさせて頂きます。
1. 「失われた5年間」の影響は描けているか
これはピーター・パーカーの周囲だけ、やけにサノスの「指パッチン」によって5年間消えたことになっている人間が多いことや、いったんは半分へ人口が減ってしまった社会への影響について、『エンドゲーム』のエピローグとしてそれなりに整合性のある描写が欲しいというものでした。
『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の製作陣も、『エンドゲーム』でいきなり登場人物の半数が5年間スキップしたことにされて、「何してくれてんだ。こっちは学校を舞台に青春群像ものやってんだぞ!」とさぞかし頭を抱えたことと想像しますが、冒頭の間が抜けたような校内報道番組の追悼映像やMCのコメント、「パッチン組」とそうでない生徒の存在、メイ伯母さん主催のホームレス救済イベントなど、あくまでスパイダーマン映画ならではの、楽しくポップな軽い切り口ではありましたが、「指パッチン」の社会的影響については、逃げずに描写していたと思います。
特にピーターの恋敵として、ブラッドという『ホームカミング』時点では下級生で、本作は5年分追いつかれて同級生というキャラクターを登場させることによって、前述した偏りの部分のバランスをうまく目立たなくさせていた点も非常に感心しました(偉そう)。
これまでのMCUでは、一連のシリーズでありながら作品をまたいで人物や設定が完璧に踏襲されてきたかというと、それはそうでもなく、監督が違えば脚本家も違うし、キャストも異なるといった都合上、重要なキャラクターがいつの間にかいなくなってしまったり、気になる伏線が棚上げされてしまったりということはそんなに珍しくもありませんでした。本作には、ストーリー上そういった「臭い物に蓋」的な、観客が「逃げたな」と感じるところがほとんどなく、非常に好感が持てます。
2. 「マルチバース」という風呂敷をどう広げるか
答え;風呂敷は広げませんでした。
本作鑑賞前、個人的に一番心配だった点はこのポイントでした。
そのうち製作が発表される予定のドクター・ストレンジ2作目ならいざ知らず、スパイダーマン単独映画でこのマルチバースという概念を扱ってしまうと、作品のフィクションラインがおかしな高さになってしまい、地に足着いた物語で人気を博した1作目の良さが失われてしまうのではと気をもんでいましたが、ご覧になった皆様はお判りの通り、「マルチバース」関連のプロット、エレメンタルズという敵の存在は丸々敵側が仕掛けたブラフで、ピーター・パーカーが対峙するのはあくまで「現実の世界」「現実の敵」という、このシリーズの特性は見事踏襲されていました。
非常に賢明な判断ですし、予告編を含めた宣伝戦略によって、主人公のみならず観客まで「罠にかける」演出手法は、銀河をまたに掛けた戦いが描かれた『エンドゲーム』後というタイミングが功を奏して絶妙に効果を発揮し、後述しますがミステリオを疑ってかかっている観客にも「そこまで嘘だったのか!」という嬉しい驚きをもたらしてくれました。
事が終わり「でもニック・フューリーが騙されるって、有り得るかな?」と疑問がわき始めたところで、ポストクレジットシーンにてその疑念すら回収し、そして本編では結局扱わなかった大規模な展開を予感させて幕、と最初から最後まで冴えわたる心憎い演出でした。
3. ミステリオをどう描くか
年季の入ったマーベルコミックのファンである僕にとって、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』においてのミステリオの描き方は、ほぼ完璧、これ以上やりようがないと思えるほど満足度が高いものでした。
原作コミックでのミステリオは、腕力ではなく、詐術や幻覚といった手段でスーパーパワーを持つスパイダーマンを窮地に陥れるのですが、コミックならばともかく、映像上どんな嘘でもつける実写映画で説得力のある敵として描けるのか疑問に感じるところでした。
故に「もしかしたらMCUのミステリオはいい奴として描かれるのかも。だって他の次元から来たとか言ってるし。」というミスリードに引っ掛かったファンも多かったと想像しますが、本作のミステリオは、原作の「詐術と幻覚を使う」という設定に正面から向き合い、見事MCUの世界観に落とし込んでみせ、なおかつ恐ろしい敵として描くことに成功するという離れ業を成し遂げています。
伏線として、『シビルウォー:キャプテン・アメリカ』(2016)で登場した「BARF」というメガネなどのメディアを必要としない立体映像とARを組み合わせたような技術、そして『アベンジャーズ:エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)等にも登場するトニー・スタークの軍事衛星の存在が使われており、シリーズを鑑賞していない観客はちょっと唐突な印象を受けるかもしれませんが、MCUこそ、映画のユニバース化をリスクをとって実践してきた当事者なれば、こういった前作ありきのちょっと傲慢な演出も容認されてよいと僕個人は思います。
ミステリオが正体を現すタイミングも絶妙で、プラハの酒場の演出は、彼が裏切ると「わかっていた」僕も鳥肌が立ちました。エレメンタルズの存在を観客に信じさせたヴェネツィアでの街を巻き込んだ大立ち回りも、「ミステリオ劇団」とも言うべき人海戦術の賜物と聞けば納得できます。ジェイク・ギレンホールの熱演も素晴らしかった。ネタが割れても脅威のまま、敵としての求心力が弛緩しなかった本作のミステリオには、どんな賛辞の言葉を贈っても、言いすぎということはないです。
4. 斬新なスイングアクションを提示できるか
そして極めつけはこの項目。
序盤のピーター・パーカー状態でのアクションといい、プラハの広場でのバトルといい、クライマックスバトルといい、同じ場面で様々な要素を展開させながら、それでいて観客が何が起こっているか混乱することがない、的確な視点配置による場面整理力。MCUのシリーズで、アクションの匠というとルッソ兄弟の名がすぐ浮かびますが、本作のジョン・ワッツ監督もそれに勝るとも劣らない、ワイドショットとロケーションを効果的に使ったアクション演出で、観ていてワクワクが止まりませんでした。
ポイントとなるアクションシーンごとに、ピーターが着ているスパイダースーツが異なるという点も気が利いてて良かったですよね。
個人的に特に痺れたのが、最終盤、タワーブリッジ内部でのラストバトル。僕は学生時分イギリスに住んでいたことがあるので何度も訪れた場所ですが(その情報いる?)、ミステリオが仕掛けた最後の「逃げ場なしのイリュージョン」に対し、対するスパイダーマンが見せるのが「スパイダーセンスの世界」。パワーもスピードも人並み外れたスパイダーマンですが、彼の能力の中で最も特筆すべきは、スパイダーセンスを活かした「危機回避能力」。この映画が、歴代で最高のスパイダーマン映画かどうかは分かりませんが、このクライマックスシーンだけは最後のオチも含めて、今までのスパイダーマン映画で一番カッコいいシーンだったのではないかと思います。
というわけで、本作『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』は、鑑賞前に個人的に「課題」だと思っていたポイントの悉くに、見事な形で解答を示し、鑑賞後素晴らしく充足した気持ちにさせてくれた映画です。
駆け足になってしまいましたが、とにかく劇場で公開されているうちに一人でも多くの方に見てほしい、その願いを込めてひとまず拙稿を終えたいと思います。
総評:100点(現時点で2019年ベストワン)
他にも語りたいことが多々ありますので(MJの可愛さとかね)、検証記事は後日UPいたします。お暇であればそちらもよろしく。それでは。