【微ネタバレ】ハードルの遥か上を超えて行った映画『ジョーカー』レビュー

【微ネタバレ】ハードルの遥か上を超えて行った映画『ジョーカー』レビュー

DCにあってマーベルに無いもの

近年のマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の地球規模の大成功は誰もが知るところでありますが、そんな世情を鑑みたとしても、最も知名度のあるアメリカン・コミック・ヒーローといえば今も昔もDCのバットマンであり、最も有名な悪役はジョーカーであることに異論の余地はないでしょう。アメリカのエンタメ系サイトが主催するアメコミキャラの人気ランキング等でも、ヴィラン部門の一位の座はジョーカーに与えられることが常です。

アメリカンコミックスの市場シェアを2分する、出版界の巨人DCとマーベル。以前別記事でも書いた気がしますが、両社は長きに渡るそのライバル関係において、マーベルがネイモア・ザ・サブマリナーを出せばDCはアクアマンを、DCがジャスティスリーグを出せばマーベルはアベンジャーズを、といった具合にお互いに対を成すように類似キャラクターを数多く生みだしてきたわけですが、ジョーカーに限っては、マーベルにも、その他出版社にもこれといったハッキリしたフォロワーを認めることができません。

手前味噌な話で申し訳ありませんが、数年前(DCEUがスタートダッシュに失敗したころ)別の媒体で、「【どうした!?DC!】アメコミ界最凶ヴィラン『ジョーカー』で一点突破せよ!」と銘打った記事を投稿し(興味ある方はコピペして検索してみてね)、DCはマーベルが真似したくてもできない、ジョーカーをメインにした映画を作って窮状を打破せよ的な論陣を張ったことがありますが、半ば冗談だったのに、まさか本気でやってくるとは、世情のうつろいというものはかくも推し量るのが難しいものです。

もとい、空を飛んだり、目や手からビームを出したりといったスーパーパワーを一切与えられていないのに際立つカリスマ性。ジョーカーというヴィランは、他のキャラクターといったい何がそこまで違うのか。現在公開中(2019年10月)のトッド・フィリップス監督作『ジョーカー』には、その疑問の答えが映画の構造によって示されており、長年アメコミに親しんでいるファンからしても「ジョーカー像」として違和感のない、完成度の恐ろしく高いアメコミ映画でした。

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築いた論理をあえて破壊する構造

主人公アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)は、病床の母親と二人暮らし。路線バスで前後に乗り合わせたちびっ子と目が合うと、思わず笑わせてあげようとするような心の優しい男です。アーサーはコメディアンとして身を立てる夢を捨てられず、商店の店先や病院の慰問などに派遣される請負のピエロ業で食うや食わずの生活を送っています。彼にはストレスを受けると大声で笑いだしてしまうという持病があり、そのせいで周囲から不当な扱いを受け続けています。ただでさえ幸せとは言えない生活に不幸な偶然が重なり、だんだん追い詰められていく主人公。元々は善良な人間が、その境遇故に心の均衡を崩し、とうとうモラルの喫水線を超越してしまう。

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テレビや動画投稿サイト等でヘビーローテーションされている予告編から、本作について上記のようなヒューマン・ドラマ、それもアメリカン・ニューシネマ的な展開を予想し、実際鑑賞を終えた後もそんな感じの映画だったと認識している方も少なくないと思いますが、本作は注意深く鑑賞していると、こと中盤以降の演出において、この人間ドラマとしてのロジックに亀裂を生じさせ、どこまでが本当の出来事で、どこまでが妄想の世界の話なのか観客を混乱の中へ陥れるという手法をとっています。

トーマス・ウェインとアーサーの母親の因縁、同じ階に住むシングルマザーとの関係、自らの出生に隠された秘密。ストーリー上の根幹をなすこれらのプロットの虚実を曖昧にし、混乱が頂点に達したところで観客に投げつけられる(精神病棟にいると思しき)アーサーの言葉。

「ジョークを思いついた。」

「あんたには理解できないよ。」

ジョーカーとは何者で、その凶行の動機は何か。

2時間かけて、その答えを自らの理解の範疇に収めようとしていた観客を突き放し物語は幕を閉じます。

全ては彼が思い付いたジョークの一部なのかもしれない。

「さもありなん。」と話を簡単に飲み込みたい観客にとっては、持たざる者が社会に仕返しをする話ということでいいのかもしれませんが、あえてそこに帰着させていないのが本作。鑑賞後に残されるのは、鬱屈した狂気がついに爆発する瞬間を目撃した、快感にも似た余韻と、得体の知れないものの片鱗を覗いた混乱だけ。

記憶に新しい『ダークナイト』のヒース・レジャー版ジョーカーの「俺(ジョーカー)は混沌の代理人」という台詞にあるように、触れた者に生じるこの混乱こそが、ジョーカーというキャラクターの本質であり、他に類を見ない特異性といえます。

そしてこの稀代のヴィランの言葉にするのも難しい本質と、そこから生じる不気味さ、不条理感を見事観客の中に顕現させてみせた『ジョーカー』。

まるでジョーカー本人がつくったような映画というとちょっと褒め過ぎでしょうか。

公開時、アメリカ現地の劇場では警察による厳戒態勢が引かれたりしていたので、さぞかし精神をマイナスの方へ持っていかれる作品なのだろうと鑑賞前から身構えている方も多いと思いますが、筆者個人の見解を申せば全然そんなことなくて、敢えて例えるならカフカの小説とか、デヴィッド・リンチ監督作品を鑑賞した後のような印象です。

絶好調の興行収益が示唆するように、この『ジョーカー』もまた映画史的に「以前」と「以降」で後に語られることの多い作品だと思いますので、ご興味のある15歳以上の方は、是非先入観を持たず、劇場で鑑賞されることをおススメします。

総評:90点

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