子供の頃は愚鈍あつかい
学校の教師にとって、アルバート・アインシュタイン少年は世話の焼ける生徒であった。
「授業の進行を妨げる」として学校を追い出されたこともある。
クラスメイトの生徒たちからは、「愚鈍」だと嘲笑されていた。
大学に進んでからも、教授の彼に対する評価は並以下であった。
こんな低空飛行の学生生活を送った人間が、20世紀、いやここ数百年というくくりで最も尊敬される科学者になった。
トーマス・エジソン(彼のミドルネームもアルヴァであった)も少年時代と、成人してからの評価のギャップが激しいから、これらを考え合わせてみれば、子供の評価というものはゆめゆめ軽々しく行ってはならない、ということがよく判る。
著書「森の生活」で知られるアメリカの思想家、ヘンリー・ソローが言うように、人間はそれぞれ固有のドラムのリズムに合わせて歩みゆくべきものなのだろう。
アインシュタインは、興味のないものについては心底どうでもよかったのだ。
そして関心を持った事柄については、徹底的に、長期にわたって研究した。
彼の生涯を決定づけることになる、「光の研究」は、彼が16歳の時に「もし自分が光の速度で飛んだら鏡に顔は映るのだろうか。」という疑問を持ち、26歳になって確たる回答を得るまで考え続けた。
その回答こそが、1905年に発表された「特殊相対性理論」であった。
16歳の彼の直感、「鏡に顔は映るに違いない。」は正しかった。
当時アルバートは、大学の研究室に籍を置いていたわけではない。
スイスにある特許事務所の三等技官という立場に過ぎなかった。
知性とはなにか
原子爆弾はアインシュタインが発見した有名な数式、E=mc2によって産み出された怪物である。
後年の彼は核開発競争に批判的であった。
「第三次世界大戦がどのように戦われるかはわからないが、第四次についてはハッキリと言える。…石を投げ合うだろう。」
アインシュタインの遺した有名な言葉だ。
彼によれば、「知性」とは「知識の集積量」ではなく、「想像力」のこと。
参考書に載っている知識などは覚える必要がない、とも。
そのせいか彼は時々自分の家の住所を忘れた。
切符の逸話
ある時列車に乗っていたアインシュタインは、購入したはずの切符を失くしてしまった。
検札に現われた車掌はしかし、彼にこう声をかけた。
「(切符がなくても)大丈夫です。貴方が誰であるか皆よく知っていますから。」と。
それでもアインシュタインは、座席の下などを一生懸命探し回った。
車掌が再び「どうか、ご心配なく。」と強調すると、彼は
「いや、切符がないと自分がどこへ行くのかわからないんだ。」
と答えたという。
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