DC-7Cの思い出
1958年、ちょうど東京タワーが完成した12月に、羽田ーホノルル間を日本航空のDC-7C型機で飛んだ。
今はなき、ダグラス・エアクラフトというアメリカの航空機メーカー製の美しい飛行機だ。
この機は最高時速600キロ程度、到達高度も6,000メートルという、第二次大戦時の戦闘機並の性能しか有しておらず、行く手に複数の積乱雲があると、その間を縫って飛ぶような有り様。
しかし、そのおかげで乗客としては、迫力のある光景ーそそり立つ雲の柱群が巨大なギリシア神殿のごとき様相を呈しているーを目の当たりにすることができた。
国際線に乗る人はまだ少なく、それだけに航空会社にとって乗客は優遇すべき特別な存在であったから、飛行機が日付変更線を超えると、記念にA4サイズくらいの「通過証明書」をくれたものだ。
搭乗した日航機はサンフランシスコ行であった。
我々家族は、父親の仕事の赴任地であるロサンゼルスー当時既にスモッグの発生で世界的に有名だったーに行くために、ホノルルでトランジット、空港で数時間待たされた後、今はなきパンアメリカン航空の飛行機に乗り換えた。
当時は、太平洋を一挙に横断飛行できる旅客機はなく、ハワイで給油するのが一般的であった。
この時代、日本航空の国際線の女性客室乗務員(スチュワーデス)は女性にとって憧れの職業であった。
陽光に満ちたホノルルの飛行場に着いてタラップを降りたときに、彼女らが私の首に、南国の香り豊かな花輪をかけてくれた。
笑顔が私の頭のはるか上にあった。
ジェット機の時代を迎えつつあった頃で、私の登場したDC-7CはDC-6とDC-8の中継ぎに投入された、「補欠」のような役割を担っていた。
とりあえず、の存在であったから日本航空も数機しか保有していなかったと記憶している。
基本設計はDC-6と同じところに、大きくて高性能なターボ・コンパウンドエンジンを搭載したものだからバランスに難があり、騒音や振動の問題が未解決であったらしい。
だが、私にとってはその美しい機体と共に、忘れがたい飛行機である。