屋根のないレストラン
1972年2月下旬、仕事で南米大陸のペルーを訪れた。
肥料工場建設の候補地を見るために、リマの郊外を見て回った。
昼時になってレストランに入ったら、なんとそのレストランには屋根がなかったのである。
屋根があるべき場所には、よしずがかけられているだけであった。
店員に聞くと、雨がほとんど降らないので大丈夫、とのことであった。
屋根のない家屋というものが存在することにただただ驚いたが、青天井の下で食事をするのは実に気持ちが良かった。
パチャカマク遺跡
リマから車で1時間ほど行った砂漠の中に、日本でいえば古墳時代ごろに始まり、15世紀にスペイン人による破壊まで続いたペルー独自の文明があった。
その文明の後半部分、「インカ文明」はよく知られているが、前半部の「先インカ文明」も偉大であった。
私が好んで食べるピーナッツやトウモロコシ、ジャガイモ、唐辛子はパチャカマクの人々が、何十キロにも渡る大規模な灌漑農業を行い栽培していた食材である。
彼らのおかげで我々の食卓は豊かになった。
現在、その「先インカ文明」を偲ぶことができる場所の一つがパチャカマク遺跡である。
この遺跡の目玉は2つあって、一つは「太陽の神殿」であり、もうひとつが「月の神殿」である。
その規模からして、一つの都市国家が成立していた、と考えることが出来る。
世界に誇る南米の料理と酒
世界中の人間に自慢できるとペルー人が豪語するのが、セビーチェという料理だ。
白身の生魚を薄切りにし、コリアンダーや玉葱などの野菜の上に載せ、塩を少々、ライムをたっぷり絞って食べる。
日系人は塩の代わりに醤油をかける。
すると、もうこれはかなり和食に近い。
このセビーチェを食べながら飲むのが、地場の透明な強い酒ピスコである。
リマ郊外での視察を終えて、ボリビアのコチャバンバに飛んだ。
日本の電気製品を扱う代理店を表敬訪問するためであった。
ボリビアの国民食である牛肉の木炭焼きの夕食に招かれた。
レストランのすぐそばにはビール工場があり、そこの出来立てを飲んだ。実にうまかった。
どんなビールでも作りたては美味しいということ、逆に長距離を輸送したり、揺らしたり、高温にさらしてみたり、長時間貯蔵したりすると味が落ちるということを悟った。
1980年代後半、私と同じことに気付いた、当時キリンラガーに圧倒的シェアを奪われていたアサヒビールの社員が、社内革命を起こした。
売れないから在庫がでる→味が落ちる→さらに売れ残る、という悪循環を断ち切ったのだ。
彼らはスーパードライというブランドで、王者キリンに挑み、シェアを奪い返した。
ボリビアへの“レア”なフライト
そういえばコチャバンバへの航路で珍しい体験をした。
リマからコチャバンバへ行くには、途中世界一高所にある湖、チチカカ湖の東南に位置するラバスでトランジットする必要があった。
ラバス空港は、なんと標高4,000メートルである。富士山よりも高いところにあるのだ。
飛行機は、離陸して、上昇してからほとんど高度を下げずに接地した。
こんな飛行体験は後にも先にもこの時だけであった。
通常、旅客機の機内は、標高1,500メートルくらいの気圧状態に保たれている。
そのまま4,000メートルの高地に着陸すると、乗客は高山病にかかる恐れがある。
私の場合は、着陸直前に瀬戸内海のように広く美しいチチカカ湖を目の当たりにしたせいで、気分が高揚していたせいか息苦しさは感じなかった。
が、視野が急に狭くなったことは覚えている。
景色の左右が薄暗く見えてしまうのである。
着陸前にスチュワードから、走ってはいけない、飲酒も控えるように、と注意を受けた。
見回すと空港の周囲には何もない。
茶色に赤味の混じった不毛の大地が広がるばかり。
遠くに雪を抱いたアンデスの山々が聳えていた。