太平洋ひとりぼっちのマーメイド号

太平洋ひとりぼっちのマーメイド号
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太平洋ひとりぼっち

1962年だったか。堀江健一さんが西宮ーサンフランシスコ間の太平洋単独横断航海を成し遂げた。

相棒は『マーメイド号』と名付けられた小さなヨットのみ。この名前は、帆を提供した日本のある繊維会社が保有していたロゴからとられた。

マーメイド号が太平洋の真ん中に在った時、私も同じ大海を進む船の上にいた。

その船とは、大同海運(今は商号が変更されている)を名乗っていた会社が運航していた貨客船、『高忠丸』1万トンであった。♪心を残しながら私は…♪サンフランシスコの金門橋(ゴールデンゲートブリッジ)をくぐり、横浜に向けて航海中であった。

船はアメリカ産石炭粉を積むついでに10人未満の旅客を乗せていた。中学生だった私にとって一番楽しい場所は船橋(ブリッジ)で、航海中よく遊びに行った。台風の余波などで波が高いとき、船体を守るため、操舵手はピッチング(縦揺れ)を避けてローリング(横揺れ)になるよう操船する。波と波との間に挟まれると船橋の左右の窓の外には黒々とした波の壁が迫る。航海士さんが高い椅子に腰かけた状態で、船の傾きに合わせて右に左に滑ってみせていた。海のプロフェッショナルが時折みせる遊びであった。

堀江さんのニュースは、私の乗る船にも届いていた。「今はこのあたりだ」と、航海士が地図に印をつけていた。我々の高忠丸はハワイよりも大分北側を西航し、マーメイド号はハワイの南方海上にあった。同じ太平洋上での交錯。ひときわ親近感を覚えたものだ。


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(文・イラスト:YOGI age71)

 

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