2018年10月31日 ハロウィン
今年も大変に盛り上がっていたようだ。
渋谷ではセンター街で火災が発生し、消防車やパトカーの大群が物々しさに拍車をかけていた。
DJポリス出動(どちらかというとMCポリスだと思うが)等の街の狂騒を伝えるニュースを見るたびに、連れ合いや実家の母などは、眉をひそめて「最近の若者は何考えてるのやら」「ハロウィンは子供のお祭りなのにねえ」といったことを苦々しく呟いている。僕はそれらに同意するフリをしながら、「でもコスプレってやってみると超楽しいんだよね」と内心思っている。
生まれて初めてしたコスプレ
三年くらい前だったか。40年近く生きてきて初めてコスプレをする機会があった。高校時代の友人が主催となって毎年実施しているある商業施設内のハロウィンのキッズパレードの誘導役を手伝うことになったのだ。最初は「軽いお手伝い」と聞いていたのに、寸前で誘導役もコスプレをするのだと伝えられた。
とにかく「悪人」の扮装をするらしいということは知っていたので、マスクなんかをネットで探しているうちに段々楽しくなってきてしまった。映画マニアとしては、どうせなら好きな映画の悪役を演じてみたい。犬神家の一族のスケキヨと散々悩んだ挙句、『ダークナイト』(2008)のジョーカーにした。
マスク以外はグリーンのベストを着ただけの完成度が低いコスプレであったが、ハロウィン当日、子供たちは扮装した僕を見て一様に恐怖の表情を浮かべた。ひきつったように泣き叫び、逃げ回る幼児たちをマスク越しにみながら「映画のジョーカーと同じ(パーティーに乗り込んできたところ)じゃん」と高揚した気分になった。恐がられ過ぎて誘導役としては役立たずとなってしまったが、はっきりと「好きなキャラクターになる」ことの醍醐味を感じた。いずれまたチャンスがあったらやらないとは言い切れない。
渋谷を中心として東西南北に広がる私鉄沿線上のベッドタウンは、僕が暮らす下町と違って歴史が浅く、いわゆるお祭りが少ない。もちろんSNSの普及もあいまって、スマホ世代がやたらめったら何かを「共有」したがってることも要因だと思うが、みんな日常から逸脱し、発散する場を求めている。昨夜、渋谷に集った人数を見る限り、行政や町ぐるみでパッケージングすれば「世界一のハロウィンイベント」を目指すことも可能だろうに、一部の暴走するバカの話ばっかり取沙汰されて負のイメージが先行したのは、純粋にコンテンツへの愛を表したい人たちにとっては、不幸なことだと思う。
ちなみに、用済みになったジョーカーのマスクだが、現在、イヤイヤ期まっさかりの二歳の甥っこが遊びに来た際、危ないことをしたり、駄々をこねたりしたときに、「悪い子には緑のおじさんが迎えに来るぞ」と言ってから、被って登場すると効果てきめん。どんなテンションでもピタッと制動がきく素晴らしいしつけアイテムとなっている。今は亡きヒース・レジャーがこの様子を見て笑ってくれてるといいのだが。(イラスト・写真・文:アクトンボーイ)