最大の危機
キャプテン・クック一回目の大航海の乗艦エンデヴァー号は、1770年6月、グレートバリアリーフにて座礁した。
座礁とは船が暗礁や浅瀬に乗り上げて動けなくなること。操船が全くできなくなる上、船首や船底といった重要な箇所に損害が生じるため、時化や台風などよりもよっぽど船乗りに恐れられる事態である。
しかもエンデヴァー号が遭遇したのは、運の悪いことに満潮時の座礁であった。干潮時の座礁であれば、水位が上がれば船が浮かび脱出の可能性が生まれる。翻って満潮時の座礁は時がたてばたつほど状況が絶望的になっていくのだ。
エンデヴァー号の離礁作戦
エンデヴァー号は座礁時、船底に穴が開き浸水してしまった。沈没の危機だが、しかし、全く時間がないということでもなかった。
ポイントは満潮時に座礁した艦をどうやって離礁させるか。
及び、離礁後により激しくなるであろう艦底に開いた穴からの浸水を、ポンプによる排水量以下に食い止めるにはどうしたらよいか、の二つである。
常に冷静なクックはこの絶体絶命の状況時に次の対策をとって艦を離礁させ、続けて修理に及んだ。
彼のとった対策というのが思慮に富み実に合理的であった。
作戦の全貌
1 艦を出来るだけ軽くすべく、不急の重量物、大砲、弾薬、鉄のバラスト、薪を海に投棄させた。但し、後刻回収可能なように、それらには浮きを付けた。ここが憎い。
2 補助ボートにエンデヴァー号の錨を乗せて、艦から少し離れた場所まで運んだ上で投錨。この間、浸水部ではポンプにて排水を継続する。
3 浸水の状況を見ながら、錨の縄を巻き取り装置にて少しづつ巻き取ることで艦を僅かに動かせる状態にしておく。
4 次の夜の満潮時を待って、艦を少し移動。夜の満潮時と昼の満潮時ではわずかに夜の方が水位が高いことが判っていた。
5 底の大きな穴を塞ぐべく、帆布を付けた縄を、艦の一方の舷側から底を回り、他方の舷側にまで送り、帆布部分が丁度穴の位置に届くように操作した。水圧があるから布部分はうまい具合に吸い込まれて穴を塞ぐことになった。それで、更に艦を動かして離礁に持っていった。
もしも浸水が酷いようであったら直ちに砂浜に乗り上げさせて船を解体するB案を用意していた。解体した古材を使って小型船を造り、東インド諸島に向かう案だった。艦には船大工が乗っていたので建造も可能であったが幸い、浸水は許容範囲内であった。その後、海岸にて艦を横倒しにして底部分の穴を塞いだり、板と板の隙間に新しい「まいはだ=繊維質の詰め物」を詰めるという応急処置を行って、航行できる状態に持って行った。
いかがだろう?
250年以上前の人間が立てた作戦とはいえ、その緻密さ、その周到さには感嘆するほかない。
話半分に聞いた方が良い歴史上の人物のエピソードが多い中、このキャプテン・クックのグレートバリアリーフ離礁作戦は一読して、彼が飛びぬけて冷静で優秀な艦長であったことが判る。
謎に包まれた人物像
キャプテン・クックの船乗りとしての功績は、彼自身が詳細に残していた航海記録によって現代のわれわれもつぶさに知ることができる。
しかし彼はその記録に自らの感想や印象、プライベートな内容をほとんど書かなかった。
よって彼がどんな人物で、何を考え、個人的な嗜好はどんなものだったのか知る術は残っていない。
不朽の名作『女王陛下のユリシーズ号』や、映画で有名な『ナバロンの要塞』で知られるスコットランドの冒険小説家アリステア・マクリーンは、1982年『キャプテン・クックの航海』を上梓したが、その際、キャプテン・クックの人となりが判る資料がなくて大変苦労したと語っている。