あの時代のケストナー
子供は同じ本を繰り返し読むものらしい。
脳に配線を巡らすためか、あるいは知識の抽斗を設けるためか。
私の場合、ドイツのエーリッヒ・ケストナーの著作が好きで、子供の頃「点子ちゃんとアントン」や「飛ぶ教室」をそれぞれ20回以上も読んだ。だから私の少ない脳みそ配線の2割か3割はケストナー色に染まっている。児童向け小説の多くがそうであるように、ケストナーの作品は人間としてあるべき姿を教えることに主眼が置かれている。
ただ、あろうことかケストナー本人は、自分のそういった創作活動によって大多数の醜い人間の本性が変わるはずもなく、全く無駄であったと反省をしている。曰くライオンに菜食主義を薦めるのと同じ、という訳だ。彼がそう語ったのは1940年、丁度戦争真っただ中でのことだ。
ケストナー本人も徴兵検査を受けた。検査主任がケストナーの著作を読んでいて、この人物を戦争で死なせるのは惜しいと考えたのであろう、「不適格」の判定となり兵役は免除された。
ヒットラーに傾倒した人間の絶対数などたかが知れているから、それを引きずり下ろすことは難しくなかったはずなのに、大多数のドイツ国民は自分が昨日まで信じていた正義をいとも簡単に捨て去って、沈黙したり、ナチスに積極的に協力したものだから、どうにもならなかった、とケストナーは当時の状況を振り返っている。
善が何もしないとき、悪は勝利する エドマンド・バーク
ナチス・ドイツの台頭
ナチスが力をつけたのは、第一次世界大戦後の巨額賠償に対し鬱積したドイツ国民の不満や怒りが、元々燻っていた反ユダヤ感情に火をつけ、捌け口とすることに成功したからだ。国がうまくいかないのはユダヤ人のせいだ!一致団結してユダヤ人を排斥しよう!
考えるにドイツに限らず、古くから西洋(英国を除きロシアを含める)に遍く存在する反ユダヤ感情というものは、人間が生まれて間もなく獲得する刷り込みのようですらある。だからこそ簡単に点火し爆発してしまったのだろう。
オーストリア出身の画家志望者アドルフ・ヒットラーは、天性の扇動者であった。
「ユダヤ人を叩き潰せ!」が国家の目標となり、国民は方向性を与えられて団結した。
芸術・哲学・科学などに於いて世界に冠たる文明社会ドイツが、何故に一人の狂人にいとも簡単に扇動され、世界史上稀にみる大量虐殺を行ってしまったのか?
それは国民が出口の見えない絶望的状況に追い込まれたときに、集団で精神疾患状態に至り、そこからの脱出方法を明示する、誰でもいい何者かに全てを委ねてしまったからである。
ナチス党もはじめは泡沫候補の様に小さな存在であった。そしてこれは大事なことだが、アドルフ・ヒットラーは民主主義的手続きを経て、党首となりその党が国民の支持を次第に集め、1934年ついに国家の指導者となったのである。それからしばらくの間ナチスは金城湯池であった。英国とロシアを除くほとんどの欧州は、大国フランスも含めナチスに支配された。そのフランスではナチスの操り人形であるヴィシー政権が立ち、ユダヤ人狩りを行っている。
独裁者を生まないための装置であるはずの民主主義が、とんでもない悪魔を誕生させてしまった。
かような不幸を回避するには、どうしたらよいのだろうか。
ナチスの教育
どんな政権も自らが掲げる理念の実現の為に教育には力を入れる。
ヒットラーは無垢なる少年少女をナチス好みの人間に育て上げるべく、ボーイスカウトに形を似せた若者集団、ヒットラーユーゲントを組織した。ナチスはフラクタル(階級組織)であるから、組織内では暴力がまかり通り、暴力によって統制を保った。参加を拒む若者にも勿論暴力が用いられ強制加入が行われた。ヒットラーユーゲントは唯一の青年団体として公認され、次第に膨張し、最終的には戦闘集団になっていった。こうして世間をろくに知らない若者が大量に戦線に投入されたのである。
嫌がらせを受けながら、ナチス台頭後もケストナーはドイツ国内に留まり執筆活動を続けていたが、1933年4月にナチスの黒い野望を表す最初の大事件が起こる。焚書である。ケストナーの児童向け小説を除いた全ての著作は悪名高きパウル・ヨーゼフ・ゲッペルスの命令の下に焼かれた。
自身の本も焚書の対象とされたハインリヒ・ハイネは、「焚書は序章に過ぎない。本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。」という警句を残した。その言葉通り、1938年に本格的なユダヤ人迫害の始まりとなった「水晶の夜」があり、ホロコーストへと続いた。
ゴルディアスの結び目
古代アナトリアの都市ゴルディオンに、数百年の間、誰にも解くことが出来なかった複雑な結び目があった。
紀元前333年にそこを訪れたアレクサンダー大王が、剣をもってその結び目を断ち切った。
もつれてしまった難題を、斬新な方法で解決してしまうことの隠喩を含んだ伝説である。意味合いとしてはコロンブスの卵と同じだ。常識にとらわれないで英断を行う者を肯定的に表現する際に引用される。
ところがケストナーは、この伝説を戦前のドイツとナチスの関係に当てはめて否定的に解釈し直した。
曰く、1920年代から30年代にかけてのドイツにおける困難な状況は忍耐強く、丁寧な方法で解決すべきであった。
そこにナチスがやってきて、剣を以て結び目を叩き切ってしまった。
その瞬間、人々はそれを見て大歓声を上げた。しかし結果はどうだ。
お蔭でドイツはより苦しい困難と、未来永劫挽回不能とも思われる不名誉に直面することになってしまった。
若者への助言
ナチスの時代を繰り返さないために、戦後、ケストナーは若者に向けて以下のような助言を行っている。
子供の頃を思い出そう
それは、何が本物で何が偽物か、何が善で何が悪か、をとっさに長く考えずに知ることだ。大抵の人は子供の頃を忘れてしまっている。だが、その後の40年、50年の知識も経験も、最初の10年間の純度に及ぶものではない。
子供の頃は我々の灯台なのだ。
ユーモアを身につけよう
ユーモアは目前のひと時に、正しい位置を与えてくれる。事の大小の秩序を、適切な観点を教えてくれる。
ユーモアは地球を小さな星にし、世界史を一呼吸にし、我々自身を謙虚にする。
虚栄という遺伝の根深い病気を、笑い飛ばして退治してしまわぬうちは、人は本当の人間になれないのだ。
コロナ禍で外出もままならない昨今、どうせ家にいるのなら、子供たちと共にケストナーの著作に触れてみるのはいかがだろうか。