今から半年ほど前でしたか。
2018年末に幕張メッセで開催された(第3回)アメコミと映画の祭典・東京コミコンでのこと。
その日の模様は過去に記事にしていますので、お暇であればそちらもお読み頂きたいのですが、当日訪れたバンダイのブースで「超合金HEROES」という新しい玩具シリーズの展示が行われていたんですね。
アイアンマンスーツ研究家(なんだそれ)の端くれとして、新しいアイアンマンのフィギュアが出たとなれば取り合えずチェックするのが習性となっている僕は、何の気なしにボーっと展示を眺めていたんですが、そこへバンダイの社員さんなのかな?スタッフカードを首から下げた30歳くらいの爽やかな青年が近づいてきて、にこやかに微笑みながら「アイアンマンお好きなんですか?」と声をかけてきたのです。
アイアンマン嫌いな奴はこの会場にいねえよ、と思わなくもなかったのですが、僕も40歳を超えてますので負けじと精一杯にこやかに「ええ、まあ。」と答えると、「Markいくつが一番好きとか、あります?」と重ねて質問してくる青年。
Markいくつって聞き方をしてくるってことは映画版の話か、展示にラインナップされている型を言ってほしいんだろうな、でも商品にはマーク3と6と50しかない、どれも一番好きかって言われると微妙だな、というようなことを一瞬で考えまして、まあこれなら無難だろう、青年も良いリアクションをしてくれるはず、いいねえコミコンらしいやり取りじゃないか、さあ僕とアイアンマンのスーツについてしばし語り合おう、と違いの分かる男風に返した答えが「Mark…1ですかね。」
するとどうでしょう、青年は鳩が豆鉄砲を食ったような表情に。
しばらく言葉に詰まった後、絞り出すように彼が言った台詞が
「Mark.1っすか、凄いマニアックですね。」
おい、ちょっと待ってくれ青年。Mark.1だよ?
栄えあるMCU第一作『アイアンマン』(2008)で、トニーが洞窟の中でろくな設備もない中作り上げたアレだよ?Mark.1がなきゃ、そもそもアイアンマンなんて生まれてないし、ひいては君もここに立ってない、それを言うに事欠いてマニアックてアナタ、ガンダム好きな人にお気に入りのガンダム聞いて「ファースト」って答えたその人に「超マニアックだねえ。」なんて言ったら大変なことになるよ?それと同じことアナタ言ってんだよ?(たぶんちがう)
脳裏に渦巻く上記のようなツッコミをグッと飲み込み、「ええ、まあ。」なんてゴニョゴニョ口の中で呟きながら逃げる様にその場を去った僕。
半年たった今でも記憶に生々しく残る寂しいやり取りでございました。(おおげさ)
そんなわけで本稿は、『アベンジャーズ:エンドゲーム』の劇場公開もそろそろ終わろうかというタイミングだからこそ、アイアンマンというヒーローの『誕生』をもう一度おさらいしてみようと、そういった主旨の記事でございます。筆者と同好の士の諸兄に置かれては、常識というべき内容ですのでその点だけご承知おきください。
アイアンマンの誕生
今から半世紀以上も前、アメリカン・コミックの業界的には「シルバーエイジ」と称される1960年代。キューバ危機の恐怖もまだ癒えていない時代にアイアンマンは誕生しました。
発案者はご存知、マーベル・コミックの名物編集長兼ライターのスタン・リー。
ハンサムな風貌に優雅な物腰。何不自由なく育った超がつくほどの大金持ちで、傍らには常に美女を侍らす巨大軍需企業の社長。
アメリカを代表する資産家ハワード・ヒューズをモデルに、従来のコミックであれば敵側にいそうなタイプの人間を新しいヒーローにするという試みは、当時マーベル・コミックの社長であったマーティン・グッドマンに正気を疑われるほど斬新なものでした。
ジャングルの奥地で地雷の爆発に巻き込まれ、武装ゲリラに囚われの身となってしまったトニー・スターク。爆弾の金属片が心臓近くに刺さってしまった為、瀕死の状態ながら武装ゲリラに兵器の製造を強要されてしまいます。絶体絶命のトニーは、同じように捕まっているインセン博士の力を借りて、自らの延命と脱出のために、ゲリラの目を欺きながら武装した鋼鉄製のスーツを作り上げます。ゲリラが異変に気付き襲い来る間一髪でスーツの起動に成功するトニー。しかしゲリラの攻撃でインセン博士は命を落としてしまい、復讐を誓ったトニーはスーツを駆ってゲリラどもに鉄槌を下します。
上記は原作コミック、アイアンマンのデビューとなった『Tales of Suspense #39』(1963年3月発行)のあらすじですが、映画『アイアンマン』をご覧になった方なら、映画もほぼ同じプロットを踏襲していることがお判りになるでしょう。MCUは『エンドゲーム』まで、20本を超える作品が製作されていますがここまでコミックに忠実な映画は、この作品とあと数本しかありません。後のマーベル映画の隆盛を考えれば、トニーが敵の陣中で作ったアイアンマンMark.1(コミックではモデル1といいます)が、現在から過去を翻ってみれば、マーベルにとって、MCUにとってどれほど重要な意味を持つかお判りいただけると思います。
スタンのビジョンを受けて、アイアンマンの造形を担当したのはアーティストのドン・ヘック。
鋼鉄製の野暮ったいスーツに、金属製のバケツのようなヘルメット。アイアンマンとはつまりMark.1の姿をしたヒーローのことであったわけです。
ディッコ・アーマー
とはいえ、Mark.1(モデル1)の姿をしたこの武骨なアイアンマンが、当時人気を博したかというとそれはそうでもありませんでした。
アイアンマンが皆さんがよく知る赤と金色のスタイリッシュなヒーローになるには、もう一人のアーティストの才能が不可欠でした。
そのアーティストの名はスティーブ・ディッコ。
スパイダーマンのコスチュームや、ドクター・ストレンジをデザインしたことで、アメリカン・コミックの伝説として世に知られているディッコですが、野暮ったかったスーツを体に合わせた形にし、各部に印象的な機能的な装飾を施し、赤と黄色のカラーリングを施してアイアンマンを生まれ変わらせたのもまた、彼であったわけです。
アメリカのコミックファンの間では、オリジンのアイアンマンと区別するために、MCU版に連なるこの赤と金色が配色された流線型のスーツは、生みだしたアーティストへの敬意をこめて「ディッコ・アーマー」とも呼ばれています。
マーベルが2006年ごろ、映画の企画段階において、子供たちを集めて、トイビズ社製のマーベルキャラクターのフィギュアシリーズを見せてお気に入りを聞いたところ、アイアンマンが人気であったため、映画第一作が『アイアンマン』になったのは有名な話ですが、子供たちが選んだのは、初登場時のアイアンマンではなく、『ディッコ・アーマー』であったでしょうから、そこまでは意図していないにしろ彼の功績はとにかく甚大であったと言えます。
1966年に明らかにされていない理由で突然マーベルを去り、以降絵を通して自己表現することのみを好みインタビュー等をほとんど受けなかったため、謎に包まれた伝説的なアーティストとしてその名を馳せたスティーブ・ディッコですが、2018年6月、自宅で一人亡くなっているところが発見されました。90歳の生涯でした。
いかがでしたでしょうか。
ヒーローに歴史あり、いい歳したファンに「アイアンマンのどのモデルが好き?」と尋ねるのであれば、せめてこのくらいのリテラシーは備えていて欲しい、そんな大きなお世話&一方的な想いを込めまして、そろそろ拙稿を終えたいと存じます。
いやあ、アイアンマンってほんとにいいものですよね。
それでは。