音速の高い壁
アメリカという国を一言で形容するなら、「挑戦の国」である。
既成概念を破壊するような挑戦は、この国で起こることが多い。
「音速の壁」を初めて超えたのもアメリカであった。
飛行機に搭載したレシプロエンジン(燃料の燃焼による熱エネルギーを往復運動に変換し、機構を介して回転運動の力学的エネルギーにする原動機のこと)は、機体の速度が時速700キロを超えると、プロペラや翼の先端の空気が暴れて機体に大きな振動を生じさせ、時に空中分解をもたらすこともある。
音速は時速約1,225キロ以上。
飛行機がこの速度を超えることは、長いこと「音速の壁」として恐れられていた。
この壁を世界で最初に破ったのが、NASA(アメリカ航空宇宙局)及びアメリカ空軍共同研究の実験機、ベルXS-1だ。
1947年10月14日。高度1万3千メートルを飛行中に、マッハ1.06を記録。
チャック・イエガー(Charles Elwood “Chuck” Yaeger)大尉がテストパイロットとして人類初の栄光に輝いた。
ベルXS-1は、当時主流になりつつあったが、いまひとつパワー不足のジェットエンジンではなく、より推力のあるロケットエンジンを採用した。
翼も、空力の理論上有利と言われているが、実績がない後退翼ではなく、ゼロ戦のような直線翼にしていた。
機体は18Gにまで耐えられるほど頑丈であった。
もっとも、人間はそんな重力加速度に耐えることはできないので、その点はオーバースペックではあった。
ベルXS-1 全長:10.9m/全幅:8.5m/全高:3.3m/自重:3,171kg/全備重量:7,500kg/エンジン:XLR11-RM5 4基
規則の壁も超えて
この記念すべき日、実はパイロットのイエガー大尉は、二日前の落馬事故により肋骨を骨折していた。
しかし、そのことを隠して試験飛行に臨んだ。
もしこの挑戦が失敗に終わっていたら、この隠蔽は大問題になっていたかもしれない。
今になって言えることだが、大きな成功の陰には、こうした変則的な事態がまま存在しているものだ。
イエガー大尉にはもう一つ名誉ある記録がある。
第二次世界大戦中の1944年10月12日、一度の出撃で5機のメッサーシュミットBf109を撃墜したことにより、アメリカ軍で最初の「Ace in the day」(1日で規定の撃墜数を記録したエースパイロット)の称号を受けた。
余談
実はXS-1の前にも飛行機が音速の壁を超えた記録はいくつかある。
例えば、量産型としては日本初となった空冷エンジン搭載の、陸軍三式戦闘機「飛燕」である。
機は戦争末期に短時間ではあるが音速を超えた。
但し、それは水平飛行ではなく急降下する折に成し遂げられたもののため、水平飛行中に達成したXS-1と同列に論じることはできない。