スミソニアン博物館のゼロ戦
ワシントンDCにあるスミソニアン宇宙航空博物館の、第二次大戦時に使われた機を集めた部屋に入ると、他に居並ぶ連合国やドイツの飛行機を差し置いて、ゼロ戦が一番先に目に飛び込んでくる。
大戦の前半までは優勢に戦ったメイド・イン・ジャパンに対して一種の敬意が払われていることが分かる。
「敵ながらやるじゃあないか!」といったところか。
優秀な機械に対しては敵味方関係なく愛情を注ぐアメリカ人らしい展示の仕方である。
アイルランドにて
もう30年近くも前のこと。ということは戦後40年とちょっとか。
当時勤めていた会社の社長に同行してアイルランドを訪れたことがある。機械の組立工場を設置するための視察だった。
同行した社長は戦時中ゼロ戦のパイロットであった。
この事を知った瞬間、交渉相手であるアイルランド側の幹部達から彼に対して尊敬の眼差しが注がれたものだ。
「何ですって、ゼロファイターを操縦していたのですか?」
日本はアイルランドとは戦っていない。
それに、アイルランドとイギリスの間にある微妙な空気の存在も手伝って、彼らアイルランド人は日本に好意的である。
その上に、あの勇名を馳せたゼロに乗った男が眼前に現れたのだ。畏敬の念が沸き起こっても不思議ではない。
日本人だけが過去の栄光を背負ったゼロ戦に特別な思いを寄せているわけではないのだ。
敗れはしたけれど、アジアの中でたった一国、欧米列強を相手に戦った日本に対する尊敬の念というものは世界のあちこちに確実に存在している。
そして、その日本を象徴するものの一つがゼロ戦なのだ。
美しい機体
優れた機械は美しい。ゼロ戦の姿も美しい。
戦闘機には互いに反する性能が要求される。
速度を追求するには軽量でなければならない。
航続距離を稼ぐために大型の燃料タンクを積みたい。
航空母艦に載せるには小型でなければならない。
空中戦には強固な機体が必要。
更に、敵弾から操縦士と燃料タンクを守る防弾鋼板は厚ければ厚いほどよい。
限界を超える性能を引き出すべく、設計と製造には尋常ならざる努力が注がれる。
その精神力が機体に宿るのであり、それが美しさとなって現れる。
美と云えば、戦艦大和にもそれがあった。
横から見る威容は、河口湖から望む富士のよう。
艦の中央にそそり立つ艦橋。その前後に、少しずつ、高さを減じて煙突、砲塔などの構造物が配置されて緩やかにして優美な曲線を描く。
戦闘機同様、戦闘艦にも二律背反がみられる。速力を得るために艦体は細長くならなければならない。
しかし、横向きに大砲を発射する際の安定を得るため、横幅は大きくなければならない。
相反する要求すべてを満足させることは出来ない。
当然そこには優先順位が設けられ、順位の低い要素は削られる。ゼロ戦にも大和にも弱点はあった。
しかし、設計・製造というものは、その時代の価値観に支配されるもので誰も逃れることは出来ない。
この意味で、後知恵をもって弱点を言い立てるのは、限られた科学力・工業資源の中で悪戦苦闘をした設計・技術者に対して酷であると思う。
ゼロ戦というニックネーム
「ゼロ戦」なる愛称は戦後生まれたもの、と思っていたら、そうではないそうだ。
この機が実戦に投入された頃から既に、一部の関係者の間で通用していたのだと。
よく、戦中は敵国の言語は禁止であった、とする説を聞くけど、少なくとも海軍に於いてはそのような事は無く、かなりの数の英語は使われていた、との海軍関係者の証言もある。
そういえば、陸軍の一式戦闘機、隼(はやぶさ)を駆って東南アジアの制空権を握った加藤隼戦闘隊を称える軍歌も、「エンジンの音轟轟と…」と始まる。
日本語にはない、あるいは日本語にすると長すぎる場合は敵性言語もありだったのだ。
日本語の特徴の一つとして語頭に濁音が来ることは少ない。
それだけに、濁音で始まる言葉には力がある。
ゴジラ、ガンダム、ゴレンジャー、大仏、団結、団塊、ジャンボ、などなど。そして、ゼロ戦である。
音に宿る力も、ゼロ戦人気に一役買っているのである。