『民主主義の砦』
Island of Democracyー米国では航空母艦をこう呼びならわす。
アメリカの一般国民は、民主主義を守るためには強力な軍隊が必要と認識しているのだ。
第二次世界大戦の前、航空兵力の有効性について日本の陸海軍は共に正しく理解していた。
意外に感じるかもしれないが、海の戦力の中心に「航空母艦」を置く戦術思想は、日本が世界に先駆けて開発したものだ。
だから、対米戦争が始まったとき、日本海軍の保有する空母の数はアメリカを上回っていた。
しかし、圧倒的な工業力を有していたアメリカはごく短期間に多数の空母を太平洋上に浮かべることになった。
サンディエゴ海軍基地の光景
小学校6年生から、中学2年にかけてアメリカに住んでいた。
日常のあらゆることに、日本とアメリカの国力の違いを感じていた。
1960年であったか、観光のためにサンディエゴを訪れた折に、軍港前を通りかかったのだが、そこには第二次大戦中に使用された航空母艦が10隻近くも停泊して威容を放っていた。
当時、どの航空母艦も退役していたはずであるのに、すぐにでも実戦配備ができそうなくらい手入れが行き届いていた。
エセックス級やその他の空母。これらの排水量は3万トン前後。
日本海軍の代表的な空母であった「飛龍」2万トンよりも、1.5倍ほど大きい。
アメリカの艦載機は、日本のそれに比べて図体が大きいものが殆どだったが、これらの戦闘機を日本の空母よりも30%多い100機搭載可能であった。
アメリカは第二次大戦中にエセックス級だけでも17機の航空母艦を建造した。
これらは太平洋の諸海戦に投入されたのであるが、ただの一隻も失われなかった。
日本の空母はというと、大戦中にほぼ全てが撃沈されてしまった。
1VS20
開戦前、日本陸軍は「戦争経済研究班」なる組織に日本VS米英の国力差を調査させた。
秋丸中佐指揮のもと、約30名の軍人が経済学者らを動員し、一年半の歳月をかけて調査した結果、国力差は1:20と出た。
陸軍首脳部は報告を受けた直後、すぐに報告書すべての焼却処分を命じた。
国策に反する、というのが理由であった。
日本陸軍が貴重な資料をせっせと燃やしている頃、アメリカは日本の戦争遂行能力を推定するために膨大なデータを分析し、何本もの報告書を作成していた。
当該分析データの中には、日本がアメリカから輸入した機械類に関する物まであった。
それらは、日本のどの会社や軍の工場に、どんな機械が据え付けられているかまで指し示していたのである。
当時、日本の工業水準はまだ低く、良質の工作機械(マザーマシーン)はアメリカや欧州からの輸入に頼っていたのだ。
当時アメリカが作成したレポートは、今でも失われることなく、ワシントンDCにある国立公文書記録管理局(National Archives and Records Administration,NARA)に保存されている。
知識や記録に対するアメリカ人の執念も彼らの安全保障のレベルを高めるのに一役買っているのだろう。
日本は明治このかた欧米から科学技術を学んできたが、知識を集積することの重要性には未だに充分気付いていないように見える。