英国戦艦ドレッドノート (HMS Dreadnought)

英国戦艦ドレッドノート (HMS Dreadnought)

戦艦ドレッドノートとは

戦艦三笠(排水量15,000トン)が日本海海戦でバルチック艦隊に勝利していた頃、英国ではトンデモナイ戦艦が就役していた。その名をドレッドノート、HMS Dreadnought (恐れを知らない、の意味)という。排水量20,000トン。

HMSとは、今に至るまでの、全ての英国軍艦名の前に付けられる、Her’(or His) Majesty’s Ship、女王陛下、もしくは国王陛下の艦、の略である。日本海軍にて、巡洋艦以上の軍艦の艦首に菊のご紋を飾って、天皇の艦であることを明示したことと精神的には同じである。因みに、アメリカはどうかと言うと、軍艦名の前には、USSを持ってくる。こちらは単にアメリカ=USの艦という素気の無いものである。例えば、横須賀を母港とする、排水量10万トンの巨大な航空母艦、ロナルド・レーガンは、USS Ronald Reaganという具合だ。

さて、ドレットノートは、戦艦としてあまりにも革命的(Dreadnought Revolution)であったので、昨日まで活躍していた、他国のものはもちろん、質量共に世界一と豪語していた自国の多数の戦艦をも一夜にして事実上、スクラップ化せざるを得ない状況に追い込んでしまった程に影響力のある軍艦であった。

会社でもそうである。従来の社員達よりも桁違いに実力のある人間を一人雇い入れると、その仕事の速さ質に比べて、前から在籍している者どもは、その日からみすぼらしく見えてしまうであろう。場合によっては、経営者としては、数人の首を切りたくなるに違いない…いやいや、その経営者を首にした方がいいかも!

ナイロンストッキングの登場により世界中の女性が俄然強くなったことにも似ているな。「眼に入らぬか、このスラっとした足が!」、おっと、蛇足であった。

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戦艦は海上を動く単なる砲台であるから、積んでいる砲門の口径、数、射程距離、命中率をもってナンボである。ドレットノートはこれらの全てに於いて圧倒的に優れていた。それまでは戦艦三笠に見る通り、主砲はニ連装を二基、計四門が標準であったところを、ニ連装の主砲を五基、合計10門積んだことに加えて、蒸気タービンの採用により速力が21ノットと、他の艦のレシプロ機関による18ノット程度に比べて速かったので、一隻にして従来艦三隻分以上の能力を有していた。

即ち、この艦は敵戦艦と勝負をすれば、相手の弾丸が届かぬ遠方より命中率の高い射撃を開始でき、また、敵が逃げても直ちに追いつき撃破することができたのである。逆に、敵の数が勝るような場合には、すたこらさっさと戦場を離脱することも可能であった。

このことから、従来の戦艦よりも圧倒的に大きく、強いドレットノート級の艦のことを、ド級艦(Dreadnoughts)と称し、更に、ド級よりも優れた戦艦を超ド級艦(Super Dreadnoughts)と呼ぶようになった。逆に本艦よりも前の戦艦のことは、前ド級艦である。ドはドヒャッのドではなく、ドレットノートのドだ。

超ド級艦としては、1912年就役の英国戦艦オライオンOrion (排水量22,000トン)が最初であり、日本では、三笠と同じヴィッカース社製にして、1913年就役の戦艦金剛(26,000トン)が同じ級に属した。この金剛はその後、二度に及ぶ大規模改修により更に高速・強大な艦となった(最終的には排水量32,000トン)。第二次大戦時、この金剛は日本にとり唯一の外国製戦艦であった。

この意味合いにおいて、日本の戦艦大和(排水量70,000トン)は超ド級どころか、超超ド級をも凌駕して正に超超超ド級であった。しかし、それが誕生した時は、ご承知の如く、既に航空機優位の時代に移っていたので、思ったような活躍ができなかったのである。熊は体が大きく、力も強いが、スズメバチには敵わないことと同じ。

戦艦大和を建造したことから日本海軍は航空戦力を軽視していた、とする見方があるが、これは正しくない。他のところでも触れたが、くり返すと、開戦時にはアメリカを上回る数の航空母艦を保有していたことからも分かる通り、日本も十分に次の時代の戦いが航空機であることは認識していたのである。

むしろ、当時の大海軍国、英国と比較するならば、日本の方がより強く、航空機の時代の到来を意識していたと言える。何しろ、あのマレー、トレンガヌ沖海戦時、日本海軍の九六式と一式陸上攻撃機によって沈没させられた悲劇の英国戦艦、プリンス・オブ・ウェールズ(HMS Prince of Wales、排水量40,000トン)と、レパルス(HMS Repulse、排水量38,000トン)には、出港時から航空機の護衛が付いていなかった。丸裸で出撃したのである。

攻撃を受けている最中も、旗艦プリンスオブウェールズから、シンガポール基地にいた航空部隊に応援を要請した形跡も無い。当時、世界に誇る最新鋭の英国戦艦が、能力的に英国人の6割程度と、低く見積もられていた日本人操縦になる航空機によって損害を被る、などとは全く想像もしていなかったのだろう。プリンスオブウェールズは就役してから僅かに11カ月の短い命であった。

教訓:Never underestimate your enemy.

付言すると、この二隻沈没後の、英国駆逐艦による生存者救助実施中、日本軍はこれを攻撃しなかった。

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短命に終わった戦略的価値

世の常識を一旦はひっくり返したドレットノートであったが、直ぐに次世代の強力な戦艦が現れ、結果的には大した戦歴も残すことなく、たった十年そこらで戦列を離れることになってしまった。そして、戦艦という艦種そのものが時代遅れになっていったのである。

現代の海軍においては、戦艦はもう存在しない。あったとしても博物館である。戦闘艦の大部分は、装甲は薄いが韋駄天走りの駆逐艦、忍者の如き潜水艦や、スズメバチを運ぶ航空母艦となっており、しかも、これら個々の海軍艦艇は、航空機や人工衛星とも連携してはじめて機能する、有機的な戦闘態勢の部分として存在している。

昔と違い、今や、戦闘艦の射撃は艦長の命令によって開始されるとは限らず、敵からの攻撃がジェット戦闘機の10倍も速い多数のミサイルによる場合などは、宇宙及び陸海空全ての戦闘単位から自動的に提供されるあらゆる情報を総合した結果を踏まえての、地球上のどこか安全な場所に置かれた電子頭脳の発令によって行われるのだ。

20万年前に誕生したときと変わらぬホモサピエンスの鈍行頭脳を通していては、もはや間に合わない、防衛し切れないのだ。日本のように国土が狭い場合は特にそうだ。だから、広大な国土を持ち、ミサイル攻撃に対して日本ほど脆弱でない米国と協力関係にあるのは戦略的に正しいのである。

不十分な武力しか備えていない日本が単独になったとき、武力をもって己の意志を通そうと考えるであろう国が周辺に複数いる。しかし、米国と安全について提携している限り、下手に手出しすれば米国による強烈な報復攻撃に合うかもしれない、と、思い止まらせることができる。抑止効果は絶大である。

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