「ホットトイズ」はどこから来たか
今日、筆者のような玩具コレクターでなくても、洋画ファンで、香港の「ホットトイズ」というメーカーの名前もしくはこの会社の製品写真を見たことがない人は一人もいないのではないでしょうか。スターウォーズ関連作とか、アメコミ原作映画を鑑賞しに映画館へ行くと、劇場の入り口でこの会社の製品チラシを手渡されることもすっかり珍しくなくなりました。
同社を代表する製品といえば、なんといっても「ムービーマスターピース」。人気映画のキャラクターを題材にした、1/6スケールフィギュアのシリーズです。演者の俳優そっくりの頭部造形や、スケールサイズに作りこまれた衣装やガジェット。ホットトイズ製品はそういったクオリティもさることながら、ライセンス商品の展開規模においても競合する他社の追随を許しません。私事ながら、筆者も40体近く所有しております。
いまやハイターゲット玩具業界において、名実ともにトップを走る同社ですが、この会社の辿ってきた歴史について、知っている人はあまりいないのではないでしょうか。先日、ホットトイズが公式に「ホットトイズ、製作の舞台裏。」というタイトルの動画をYoutubeにアップしましたが、この映像はおもにフィギュア制作に関するもので、創業者がホットトイズを立ち上げる前に何をしていたのか、どうしてホットトイズをつくったのか、同社を有名にした製品は何か、とかそういうことは紹介されていませんでした。
本稿では、同社の歴史や思い出深い商品、ならびに日本での紹介のされかたなどを、若干年季の入った玩具コレクターとして記憶を頼りにご紹介します。
誕生前の時代背景
ホットトイズの話を始める前にまず時代背景から(めんどくさくてごめんなさいね)。
時は1990年代中頃。トッド・マクファーレンの『スポーン』というアメリカンコミックが世界的に大ヒットします。このマクファーレンという人はコミックライターでありながら、その実やり手の実業家でした。彼は自らのコミックがヒットするやいなや、玩具メーカーを立ち上げてコミックに登場するキャラクターのフィギュアを独占販売したのです。当時としては大変精巧にできていた『スポーン』フィギュアは、マクファーレンさんの目論見以上に大ヒット。コミックファンのみならず、それまでアメコミにもフィギュアにも関心がなかった層にまで、ある種「ファッション」としてスポーンをはじめとするUSトイの収集が流行します。
日本にこのブームが本格的に訪れたのは、90年代も後半になってからと記憶していますが、当時は東京にもまるで雨後のタケノコのように、輸入玩具を扱う店が開店しました。現在、愛好家のみなさんが足しげく通っているアメトイ屋さんのほとんどは、この時期に開店し、その後の衰退期をサバイブした生き残りです。
もとい、『スポーン』フィギュアの大流行は「玩具は子供のもの」という既成概念を破壊しました。
玩具市場の裾野は急激に拡大し、「大人の(男の)収集・鑑賞に耐えうる玩具」という新たなニーズが生まれます。2000年代に入る頃、その流れで、スポーン以前にも存在したアクションフィギュアの祖、米ハズブロ社の「GIジョー」、そしてこの「GIジョー」をよりリアルに、精密にした1/6スケールのミリタリーフィギュアのブームが到来します。米国の21stセンチュリートイズや、香港のDRAGON社、そして日本でもメディコムトイなどがこぞって軍隊や警察特殊部隊のフィギュアを次々に発売、どれも飛ぶように売れていきました。
また、このミリタリーフィギュアのブームと並行して、マイケル・ラウ、エリック・ソウといった香港のデザイナーが手がけるデザイナートイ、現在でいうところのオブジェフィギュアのブームも発生します。リアルとは異なるデフォルメされた人間モチーフのフィギュアは、日本でも男女問わない人気を獲得し、渋谷PARCOで開催されたマイケル・ラウのエキシビジョンは、数時間待ちの大行列となりました。ただ、このデザイナートイは、少量生産のため取扱店が少なく、また非常に高価であったため、多くの人にとっては収集するというよりは、カタログや雑誌で写真を眺めるもの、であった気がします。
ホットトイズが産声を上げるのはちょうどこの頃の話です。
黎明期
ホットトイズ創業者のホワード・チャンさんは、1972年生まれ。幼少時からスターウォーズなどのハリウッド映画が大好きだった彼は、インテリアの専門学校をでて、香港のテレビ局TVBで脚本家として働いた後、趣味が高じて1998年に香港のコーズウェイベイという、日本でいう東京・秋葉原や大阪・日本橋のような土地に、「トイハンターズ」というフィギュア・ショップをオープンします。この店では、上段で紹介したような、ハズブロ社製品を始めとする1/6スケールのミリタリーフィギュアを販売していました。ただ、ホワードさんは、自らの店で扱う商品のクオリティに満足ができなくなり、自分でつくりたいと思うようになります。
1999年、ホワードさんは、オリジナルブランド「ホットトイズ」を立ち上げ、自らが製作したフィギュアの販売を開始します。このホットトイズ初めての商品というのが、ちょっと謂れがありまして、「フェイマスタイプ」と名付けられたそのフィギュアシリーズは、肖像権の使用許可をえていない所謂「無版権フィギュア」だったんですね。おそらくは同社の黒歴史であるが為、あまり深くは掘り下げませんが、筆者の記憶では、この「フェイマスタイプ」シリーズは全部で3体。ジョージ・ルーカス、キアヌ・リーヴス、トム・クルーズの3人に見えないこともないフィギュアだったような気がします。
何はともあれ、同社の現在を彷彿とさせる、これら初期の映画モチーフフィギュアがホットトイズを今の地位に押し上げていったのか、というと実はそうではありません。
香港にホットトイズあり
ホワードさん自身が手がけた「ホットトイズ」のクオリティに、世界が度肝を抜かれたのは2001年。
同社の名を轟かせたのは、1/6スケール『F-14 Tomcat Pilot』というミリタリーフィギュアでした。ホットトイズジャパンの公式ページに画像が残っていますので是非ごらん頂きたいのですが、驚かれたのは頭部の造形ではなく、フィギュアサイズに縮小された超リアルなパイロットの衣装と装備品の数々の方です。リアルなフィギュアを見慣れた今の目で見ても色あせない精巧さがお判り頂けるでしょう。ホワードさん自身が3日間、製造工場に泊まり込んで小物の製作に当たったというこのフィギュアは、約5,000体製作されましたが、あっという間に完売し、「ホットトイズ」の名を世界中のコレクターの脳裏に刻むことになりました。
余談ですが、筆者自身が初めて手に入れたホットトイズ製品は、このトムキャット・パイロットから約一年後に発売された同じミリタリーフィギュアシリーズの『HALO Seal UDT』でした。あまりの素敵さ、仕様の細かさに一目ぼれして東京・中野ブロードウェイまで遠征して、今は亡き(涙)香港フィギュア専門店『トイズエアメイル』で高額に震えながら購入したのを昨日のことのように覚えています。
また、ホワードさん率いるホットトイズは、こうして業界内に確固たる定位置を得たミリタリーフィギュアの他にも、デザイナートイブームに合わせたお猿さんを擬人化した『ブラザーズワーカー』シリーズや、アーティストのエリック・ソウとコラボしたフィギュアなども次々と発表しており、立ち上げ間もない当時から幅広い層のファンに向けて商品展開を行ってきたことも、現在に至る大躍進の大きな要因といえると思います。
そして映画フィギュアの雄へ
ホットトイズが現在のような、ライセンス商品を正式に販売するようになったのは2003年以降のことです。現在に至るホワードさんの右腕、現ホットトイズジャパンCEOのフランクさんとの出会いにより、本格的にライセンスフィギュアの製作・販売を開始したホットトイズ。洋画キャラクターフィギュアのイメージが強い同社ですが、当初は手塚治虫のキャラクターフィギュアとかを販売していました。
そして、2005年、記念すべき『ムービーマスターシリーズ』の第一弾として映画『ターミネーター』からシュワちゃん演じるターミネーター(この時点では俳優の肖像権はとれていなかったようです)を発売。当時、筆者はミリタリーやデザイナーの印象が強かった同社が急に出した映画フィギュアに、「なんか普通のことやりだしたな。」と僭越な想いを抱いたことを覚えています。後に同社製品がフィギュアの顔面の方で、リアルをとことん追求しだしてその認識を改めるわけですが、そんな筆者のどうでもいい思いはさておき、同社は2008年から怒涛の進撃を始めるマーベル・シネマティック・ユニバースと呼応するようにスーパーリアルな映画フィギュアを次々と発売。『アイアンマン』と同年の映画『ダークナイト』のジョーカーのフィギュアのクオリティは好事家の間で大変話題になりました。そして米の大手フィギュアメーカー、サイドショウとパートナーシップを提携、現在に至る、というわけです。
いかがでしたでしょうか。洋画ファンにとってすっかりお馴染みとなったホットトイズ社の理解を深める一助となりましたら幸いです。
ところどころうろ覚えの知識で齟齬など多々あるかもしれませんが、年齢のせいにしてお茶を濁させて頂きたいと存じます。
もう記憶力がね、限界ですので。