かつてタラ戦争と呼ばれた争いがあった。
現在では憶えている人も少ないだろう。
だが今の時代の日本近海や南シナ海における数々の諍いを考えるとき、この話はなんらかの参考になるかもしれない。
タラ戦争とは
タラ戦争は1958年から1976年までの18年間、英国とアイスランドの間に起きた、タラをはじめとする漁業資源をめぐる一連の紛争のことである。
日本でいうと東京タワーが建ってから田中角栄総理逮捕事件までの期間である。
アイスランドは相当に小さな国である。
面積は北海道と四国を合わせた程度。
人口はたったの30万人。
石油・鉱物資源は採れず、寒冷地ゆえ林業も農業もないに等しい。
彼らにとっては漁業があるだけであった。
魚を売って外貨を稼ぎ、それをもって必要な物資を輸入しなければ生きていけない。
争いの背景にはまずこうしたアイスランドの事情がある。
第二次大戦中の1940年に、一時的にしろ英国による占領を受けて反英感情の残るアイスランド国民は、英国を始めとする欧州諸国がアイスランド近海に大型のトロール漁船を多数投入して魚を乱獲することに怒っていた。
1958年、小国アイスランドはそれまで4海里であった漁業専管水域を12海里に拡大して自らの漁業の保護を目指した。トロール船をコントロールせよ!と叫びだしたわけだ。
英国はもちろんこれに同意するはずもなかったから、乱獲は継続した。
1972年、アイスランドはさらに自らが主張する漁業専管水域を50海里に拡大したので英国との緊張は高まった。
漁獲量の低減が深刻であったアイスランドは、さらに外交的戦術にうってでる。
自国内に置かれているNATO軍基地を閉鎖するぞ!と国際社会を脅したのだ。
1970年代当時はソ連と自由主義国が激しく対立する冷戦の時代であり、アイスランドのNATO基地が無くなることは、欧州にとって防衛上致命的な損失に繋がった。
世界地図で確認すると、アイスランドはソ連、欧州、アメリカに囲まれた戦略的に重要な位置に存することがわかる。
ソ連がアメリカに向かって大陸間弾道弾を発射すれば、それは丁度アイスランドの真上を飛ぶことになるのだ。
宣告にも関わらずアイスランドにとって事態は改善しなかったことから、1975年、とうとうアイスランドの怒りは頂点に達する。
アイスランドは漁業専管水域を200海里とし、英国との緊張は爆発して紛争に発展してしまう。
アイスランド側は巡視船がロープに設置した特殊な刃物を使って、英国のトロール船の網を切断して回るという実力行使に出る。
英国はこれに対抗すべく海軍フリゲート艦20隻をはじめ、その他多数の補助艦艇を投入した。
両国の艦船はお互いに体当たりによる妨害をはじめた。
この紛争にて破損した艦船は双方合わせて100隻近くに上った。
幸い火砲を用いての戦いは避けられ、人的被害も事故による死者1名に留まった。
このときもまたと言うべきか、国連の安全保障理事会は何の手も打たなかった。
まあ彼らは、昔からそういう集いなんだと思うしかなかろう。
無策な国連の代わりに、北欧諸国がアイスランドの陣営に加わり味方をした。
強国の一角を占めていた大英帝国が、ちっぽけな国を虐めているという構図、大国に怯まないアイスランド人の勇気はやがて、世界中の世論をして英国にこそ非があるという風潮に固まっていった。1970年代も中頃となると、自国の海域を200海里とする国の数も増えてきており、そのこともアイスランドを後押しした。
1976年に至り、NATOの仲裁下、英国がアイスランドの200海里を認めた上で、大幅な漁獲枠削減を呑むという一方的な譲歩を行った結果、紛争は解決した。
この「譲歩」の影響で英国では、漁業従事者を中心に9,000人もの失業者を出すに至った。
教訓:大国が力任せに我欲を通そうとしても、必ずしもうまく行くものではない。
英国を訪れた際、タラを使った伝統食フィッシュアンドチップスを食べるときには、このエピソードで味付けすると、より味わい深いかもしれない。
なお、タラ戦争を英語ではCod Warと言う。
冷戦のCold Warをもじったわけだ。