【鑑賞前に考える】『キャプテン・マーベル』はスーパーマンになれたのか

【鑑賞前に考える】『キャプテン・マーベル』はスーパーマンになれたのか

MCUの試金石

いよいよ今週末(2019年3月15日)公開が迫る、マーベル・シネマティック・ユニバース(以降MCUと表記)最新作『キャプテン・マーベル』。

翌月公開の『アベンジャーズ:エンドゲーム』にて、2008年『アイアンマン』よりスタートした一連のシリーズの、ひとまずの終焉を迎えるMCUですが、昨年公開の『アベンジャーズ:インフィニティーウォー』をご覧になった方はお判りのように、現在(笑)われらがアベンジャーズはサノスの指パッチンにより、その構成員の大多数が消滅、生き残りのメンバーは離散、手持ちのカードだけではにっちもさっちもいかないような絶体絶命の危機に瀕しています。このままでは4月に最終対決をしようにも、勝算などどこにもないように見えますが、そこでカギとなってくるのが、『インフィニティーウォー』のポストクレジットシーンで示唆された新キャラクター、「キャプテン・マーベルの存在」ってわけです。

今週末の映画を楽しみにしていらっしゃる方にはいまさら説明不要かと思いますが、キャプテン・マーベルはマーベルコミックスが原作の女性スーパーヒーロー。傷つくことを知らない強靭な肉体に高速飛行能力。そして両腕から放つ強力なエネルギーブラスト。1,000を優に超える多士済々のマーベルヒーローの中でも、設定上与えられた能力は、間違いなくトップクラス。映画に既出のキャラクターの中でいうとソーと同等かそれ以上のパワーを持っています。マーベルのライバル会社DCのキャラで例えるなら、立ち位置はワンダーウーマン、能力はスーパーマンと言えば、語弊はありますが割としっくりくる感じです。

「そんな強いキャラクターが出るんだ!サノス倒せそうじゃん!」…ところが話はそんなに単純じゃありません。

MCUが22作目のアベンジャーズ4(エンドゲームのこと)をもって結末を迎え、その一作手前にキャプテン・マーベルがリリースされ物語の鍵を握るということは二年以上前くらいから公式に伝わっていたことなんですが、個人的に、映画と関係なくアメコミを追っていた者の一人として、MCUが「あのキャプテン・マーベル」をどうやってスクリーンに登場させるのかに非常に関心がありました。

Advertisement

スーパーパワーのロジック

これまで20作を数えるMCUは、その世界観を、シリーズ通して観客に現実の世界と地続きになっていると思わせるような「なるべくリアル」路線で構築してきました。現実の世界ということはつまり、物理法則も普通に働いている世界、ということです。

そして、マーベル映画に既出のヒーローは作品ごとに「なぜこのキャラクターは、(物理法則から)逸脱した能力を持っているのか」というロジックを丁寧に説明し、少しずつ馴染ませるという手法をとってきました。曰く、アイアンマンのパワーはトニーが発明したアークリアクターが動力のスーツ由来、ドクター・ストレンジは魔法の力、ソーは風雨を操るカミナリ様、ヴィジョンとスカーレットウィッチはインフィニティストーンの力、といった具合です。ロジックと言うと大層なもののようですが、喋る天才アライグマなんかもアリなわけで、要は観客がキャラクターがその能力を持つことを納得すればいいわけです。とはいえ、生身に見える人間が空を飛ぶ」「光線を出す」といった能力は、観客に「特にありえない」と興醒めさせてしまう可能性が高い描写で、MCUはこれまでその扱いに非常に気を配ってきたように思います。そしてここにきて、じゃあキャプテン・マーベルはどうか?ということなのです。

Advertisement

前述した通り、キャプテン・マーベルの能力は、DCのスーパーマンとよく似ています。生身の状態で空を高速で飛び、何の元素反応か判らない光線を発射口っぽくないところ(両手の拳)から放つ。予告編から判断するに、これらの能力はそのまま実写にも踏襲されているようです。

一般的に言って、スーパーマンが空を飛ぶのは当たり前でも、なぜ飛べるのかをキチンと説明できる人はいません。光線(ヒートヴィジョン)についても同じ。理由らしい理由と言えば、「高重力の違う星からやってきたから」、もっというと「宇宙人だから」としか言いようがないんですね。私見ではスーパーマンはアメコミ史上最も歴史があり、最も著名なヒーローであるがゆえに、そうできるのが当たり前で、詳しい説明を免除されているように思えます。

しかし、キャプテン・マーベルはそういうわけにはいきません。特に10年以上世界中の観客を魅了してきたシリーズの決着を担うような、強力なパワーを与えられているのならば、その理由を観客の納得いく形で提示しなければ、これまでのキャラを差し置いて後出しのチートキャラが、強引に話を終わらせた、との批判は避けられないでしょう。原作では彼女がこれらの能力を身に着けている理由は、スーパーマンとあまり変わりがありません。(詳しくはネタバレになるのでマーベルのwikiとかを見てね)そのまま実写にしたとして、納得性の高いものになるとは思えないんですね。

で、こういった事情を、今を時めくMCU製作陣が承知していないはずもなく、キャプテン・マーベルがどういうロジックを展開してくるか、楽しみなところであるわけです。

Advertisement

心配な本国の観客評価

これまでのMCU作品、特にここ数年公開されたものに関しては、公開前に批評家による絶賛のコメントが並び、いざ公開となるとそれを追う形で観客のフィーバーが始まる、というパターンが定型化していました。昨年(2018)公開された3作品、『ブラックパンサー』、『アベンジャーズ:インフィニティーウォー』、『アントマン&ワスプ』はどれもそんな感じでしたよね。

観客の満足度をある程度証左する大手映画レビューサイトのレーティングも、Critic(評論家)、Audience(一般観客)ともにMCU作品には好意的な評価が当たり前となって久しいわけですが、この『キャプテン・マーベル』に関して言えばいつもと様子が違います

本国アメリカでは日本より1週早い2019年3月8日に公開が始まり、これらレビューサイトにも注目映画だけあって大量のAudienceレビューが投稿されはじめました。まず、日本でも有名なロッテントマトのレーティングはどうなっているかというと、2019年3月11日午後1時現時点で、Criticが80%、Audienceが57%となっています。『ブラックパンサー』に99%(公開直後)ついてたCriticレートが80%しかなく、そしてAudience57%は、おそらくMCU史上でもかなり低調なスタートと言えるでしょう。またもう一つの大手レビューサイト、「Metacritic」のレーティングはというとこちらはCriticのレーティングが100点満点で64点。Audienceが10点満点で3.5点となっています。

はっきりいって予想外の、とても低い数値です。個人的に、『最後のジェダイ』の異様な高評価からCriticスコアはディズニー作品について甘めに出る傾向にあるのではと疑っており、あまり信用していないのですが、今回そのCriticスコアが伸び悩んでいるのがとにかく気になります。本作『キャプテン・マーベル』に関しては、そのキャラクターの特性や演じるブリー・ラーソンの言動から、反フェミニズム主義者の嫌がらせがあるのではと言われていますが、それらが顕著に影響するのはAudienceスコアのはずで、Critic、Audience共に点数が辛いとなるとこれは少なくとも「大傑作」という線は限りなく薄いのかなと。

シリーズの集大成を前に、その前振りとなる本作の成功は、シリーズ全体の成功に直結する大切な要素です。どうか何かの間違いであってほしい。そんな願いを託して本稿は、では実際どうだったのか、来週の「鑑賞後」のレビューにつづきます。

Advertisement

映画のコラムカテゴリの最新記事