【驚きの法とは何か】NETFLIX『ウィッチャー/シーズン1』全話鑑賞後レビュー

【驚きの法とは何か】NETFLIX『ウィッチャー/シーズン1』全話鑑賞後レビュー
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近頃『マンダロリアン』の記事ばっかり上げていて、他に興味がないみたいになってしまっている私(アクトンボーイ)のブログですが、他の作品も結構鑑賞してはいるのです。

何しろ劇場映画に目を向ければ、大好きなタイカ・ワイティティ監督の最新作『ジョジョ・ラビット』やイーストッドの『リチャード・ジュエル』、マンゴールド監督の『フォードVSフェラーリ』にエドワード・ノートンの『マザーレス・ブルックリン』、挙句の果てにはポン・ジュノ監督『パラサイト 半地下の家族』と、年間ベストを争うような凄い作品が目白押し。(2020年1月時点)

配信系はといえば、ただでさえ「いつか時間のある時に」と寝かせてる在庫が山ほどあるのに、この上アニメ『ドロヘドロ』やらドラマ『ウォッチメン』やら、個人的なストライクゾーンど真ん中のシリーズが始まってしまう(しまっている)ので、もうこれ以上は無理だと、1日は24時間しかないし、俺は1人しかいないんだと、どれから手をつけていいか判らないからとりあえずマンダロリアンもう1回観ようと、若干ヤケクソ気味な気分ではありますが、駆け足にでも一つずつ記事にしていきたいとは思っております。

手始めといたしまして、昨年末の拙稿にて「年末最大の期待作」とご紹介したNETFLIXオリジナルドラマ『ウィッチャー』シーズン1から

ご注意 以下はNETFLIXオリジナルドラマ『ウィッチャー』シーズン1の全話鑑賞を踏まえて、見どころや今後の展望などをグダグダ書き連ねたものとなっております。あまり鑑賞前に知って興味を削ぐようなネタバレは、全話通して殆どなかったとは思いますが、念のため未見の方は閲覧をご一考ください。

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シーズン1は完全なプロローグ

「つまらなくはないけど、正直ちょっと微妙。」

憶測でモノを言うのも品がありませんが、このドラマを鑑賞した方の多くが上記のような感想をお持ちになったのではないかと。

それも無理ない、というかこのNETFLIXオリジナルドラマ『ウィッチャー』シーズン1、私見ではかなり実験的な勇気のあるつくりになっていて、それが故にウィッチャーのことをよく知らない方を中心に、かなりの数の視聴者を置いてきぼりにしているのではないかと思うわけです。

ともすれば作劇上の失敗とも捉えられる恐れのあるその実験的な要素を、以下に書き出してみます。

1. 3人の視点キャラクターのオムニバスでありながら、それぞれ時系列が異なること。

通常、3人以上の視点人物を切り替えるオムニバス式の映像作品では、それぞれがのキャラクターが生きる時間軸は一致させるものです。現代の話と過去の話が交互に来るような作劇でも、視聴者の混乱を避けるために映像のタッチを明らかに加工したり、シーン前に「○○年前」みたいなテロップを入れたりするものですが、『ウィッチャー』シーズン1では、そういった映像的な説明を抜きにして断片的に時系列が前後するエピソードが描かれました。

リヴィアのゲラルト、ヴェンガーバーグのイェネファー、そしてシントラのシリ。

上記3人が主な視点人物ですが、ややこしいことにこのうちの2人、ゲラルトとイェネファーは普通の人間と老化のスピードが違う(超遅い)ので、容姿が変化せず、事情を知らない視聴者の混乱をさらに招いています。

野暮かと存じますがあえて説明すると、イェネファーのエピソードの開始地点が最も古く、次にゲラルト、そしてシリの視点が最も新しくなっています。

素直に章立てして、織り交ぜるよりもそれぞれのエピソードを順番に描いた方が良かったのではないかとも思いますが、ひとえにウィッチャー世界における歴史のうねりと、後述するクライマックス、「ゲラルトとシリの運命」に徐々に焦点を絞っていく演出上の狙いなのでしょう。

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2. 短編集の内容が中心のストーリー

NETFLIXがウィッチャーをドラマ化すると聞いたときに、邦訳版の小説とゲームの「ウィッチャー3/ワイルドハント」には既に触れていた筆者は「どちらのストーリーをやるんだろう。」と期待しましたが、フタを開けてみれば、未邦訳短編集「The Last Wish:Introducting the Witcher」の内容が中心のシーズン1でした。

既にシーズン2が製作決定しているとはいえ、まさかシーズン1丸々イントロダクションで終えるとは。ゲームのファンであれば、「あれ?それらしき人はいたけど、ゲラルトの親友ダンディリオンが出てないぞ?」と思うかもしれませんが、第2話で登場する「ヤスキエル」が、ダンディリオンで間違いありません。ダンディリオンはポーランド語の原作を英語に訳したときに替えられた名前で、原語ではヤスキエル(ヤフキエル)らしいです。話がそれましたが、イントロダクションから丁寧に紹介する姿勢といい、事程左様にNETFLIX版「ウィッチャー」は原作にできるだけ忠実に制作されているとみて間違いありません。

しかし、このペースで話を進めるなら、原作のボリュームからいって既に製作決定しているシーズン2で話が納まりきるはずもなく、シーズン4から5は優に費やす気なのではないかと推測できます。

シーズン1を観終わって「え?これで終わり?」とあっけなく思った方、シーズン2からが本筋の始まりですので、イマイチだったと切らずに、逆にじっくりどっぷり浸るタイプの大作ドラマになると期待していいと思います。

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驚きの法(Law of Surprise)とは

上段でご紹介したように、シーズン1はイントロダクションとしてウィッチャーの世界観や登場人物を紹介しながら、本編の主人公であるゲラルトとシリの運命の出会いを描いたものでしたが、ウィッチャーではこの2人の運命の結びつきは「驚きの法」という、ウィッチャー世界独特の掟、不文律によるものとされています。シーズン1第4話で本格的に登場するこの「驚きの法」、ゲラルトとシリの因縁もこのとき始めて生じるわけですが、この「驚きの法」そのものの説明があまりなされないため、ドラマだけ観ているとやや唐突で強引に感じている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

個人的には、ラストにゲラルトとシリの出会いを持ってくる作劇なら、第一話で何よりこの「驚きの法」の成り立ちや存在する理由などを、オリジナルエピソードを交えて懇切丁寧に説明した方が良かったように思いますが、実は筆者も前述した通り邦訳されている原作(ゲラルトとシリが出会ってからの話)しか知りませんので、あまり詳しいところまでは判っていません。

そんな生半可な知識で説明させて頂くと、なんでもこの「驚きの法」は、ウィッチャー世界のモデルとなっているスラブやポーランドの神話伝承に登場する概念で、誰かの命を救うような最大限の功に対して、その行為を行ったものは債務者が「その場で持っていない何か」を任意の条件付きで請求できるというものなんだそうです。で、債務者はその条件に当てはまってしまえば、それがどんなに自分にとって重要なモノ、例え我が子だろうと請求者に差し上げなければならないという風習なんですね。

で、ご紹介したように、この「驚きの法」は命懸けの重大局面でしか発動しないうえに、出す条件も人それぞれ、出された側も人生色々ですから、ゲラルトとシリのように衆人環視のもと「驚きの法」が2回連続して(第8話でもう1回なので本当は3回)片方が生まれる前から結びつけられるような関係性は、通常ありえないわけです。

よってシリの中に秘められている力云々の前に、ウィッチャー世界の住人たちで事情を知る者は、ゲラルトとシリの間には何か超常の力が働いていると信じているというわけです。

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個人的みどころ

さてそんなわけで、駄文を連ねてシーズン1の補足をしてまいりましたが、最後に筆者的にこのドラマの一番のみどころをご紹介させて頂くと、それは「ソードアクションがクソカッコいい!」その一言につきます。

IQが大層低めな感じで申し訳ございませんが、こういったハイファンタジーの映像作品で、甲冑を着た騎士たちがここまでソリッドな殺陣をこなす作品は今までなかったように思います。第一話終盤でいきなり始まる戦闘を観ていただければ筆者の言いたいことが伝わると思いますが、ゲーム版とは印象の異なる、見た目に明らかに立派な骨格をしているヘンリー・カヴィルをキャスティングしたことも、戦いの説得力をさらに増しているように思います。

主人公が普通の人間相手ならまず負けないくらい強いのもまたいい、正直同ジャンルの人気ドラマ『ゲームオブスローンズ』は世界観やストーリーはとても好みなのに、視点人物が突然残酷に殺されたりするので観ていてちょっとしんどかったのですが、本作のような感じのヒロイックファンタジーは落ち着いて鑑賞できるのでより好きです。

いかがでしたでしょうか。

話の本筋的には「まだこれから。」といった感の強いシーズン1でしたが、原作に対して誠実な作劇に加え、重厚な世界観はファンが掘り下げる楽しみを喚起されますし、戦闘シーンにはかなり際立ったものを感じます。

当ブログでもたまに検証記事を上げようと思っていますので、是非お付き合いくださいね。

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