【超ネタバレあり】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は傑作だけど好きじゃない

【超ネタバレあり】『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は傑作だけど好きじゃない

注意:本稿は映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』の感想記事です。物語の根幹に関わる重要なネタバレを数多く含みます。また表題でお分かりの通り、若干マイナス面の愚痴が多めとなっております。映画をまだ観ていない方、この映画にポジティブな感想をお持ちの方、閲覧をご一考ください。

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このモヤモヤを何とかしたい

2時間半あっという間でした。だがしかし…!

誤解して欲しくないのですが、これから現時点では世間的に絶賛の嵐である映画『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』に対して愚痴めいたことを書き連ねる予定ですが、筆者はこの映画のエンターテイメント作品としての完成度は非常に高いと考えており、決して「面白くない」とか「観る価値ない」とかそういったサゲをしたいわけではありません。

ただ映画の要所で散見された、強引な展開やキャラクターの扱い、そして何といってもストーリーの帰着がハッキリ言って「好みではなく」、鑑賞し終えた後、世間一般の絶賛一色なムードにかなりモヤモヤしましたので、ちょっとこの場末ブログで愚痴をグチグチ語ってみたいと思った次第です。

ピーターが幼すぎる

この映画について書くときの前段階として、1本のスパイダーマン映画として評するか、あるいは2008年の『アイアンマン』から始まった全20作を優に超えるマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)のシリーズ最新作として扱うか、という点で筆者のスタンスを明らかにしておきます。

筆者はあくまで後者、シリーズものの一作として『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』を扱います。※ちなみに、本作に欠けてはならない要素として登場するサム・ライミ版スパイダーマン3作および、マーク・ウェブ版スパイダーマン2作は鑑賞済みという前提で話を進めます。

2016年の『シビルウォー:キャプテン・アメリカ』での初登場から、『スパイダーマン:ホーム・カミング』『アベンジャーズ:インフィニティー・ウォー』『アベンジャーズ:エンド・ゲーム』『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』と、5本の映画に渡って登場してきたMCU版スパイダーマン、故にキャラクターの性格や考え方、辿ってきた出会いや出来事などはあくまで既出5作を踏襲したものでなくてはならないと考えます。

これまでの5本の映画で何があったかを羅列するにはとてもスペースも気力も足りませんが、駆け足でざっくり説明すると、一介の高校生ピーター・パーカーがある日突然特異能力を得て、気楽にヒーロー稼業を楽しんでいたところ、自らを過信し事態の重さを軽んじたせいであわや大勢の人を巻き込む大惨事を招きそうになり、尊敬する先輩ヒーロー(トニー・スタークakaアイアンマン)に叱責されて自らの立ち位置を見つめ直し(ホーム・カミング)、息つく間もなく時空を操る宇宙規模の強大な敵との人類存亡をかけた戦いに身を投じ、勝利するも信頼する先輩でありメンターでもあったアイアンマンをその戦いで失い(アベンジャーズ2作)、辛かったその死を乗り越えてついにヒーローとして独り立ちし、人心を篭絡する敵を攻略した(ファー・フロム・ホーム)、というのがこれまでのMCU版スパイダーマンの流れです。

前作のラストで敵によってマスクの下の身元が明かされてしまい、周囲に大きなマイナスの波紋を広げてしまいますが、これまでの作品の大ファンである筆者からすると、アベンジャーズの表看板としてその身の上を世間に明かし、矢面に立っていたトニー・スタークの正統後継者として、頼もしく成長した新しいヒーロー像をピーター・パーカーに期待してしまっていました。

故に身内の幸せを願うばかりに全人類の記憶改変を望んだり、年長者の箴言に耳を貸さず、自らの範疇を超えた決断を軽々しく行い禁忌とされた並行世界の歴史改変に踏み込んだり、あげく凶悪なヴィラン達を街中に解き放ってコラテラルダメージを生みだしてしまったり、怒りの衝動に任せて敵を殺害しようとしてしまう本作のピーターには、『ホーム・カミング』の時代に戻ったような幼さを感じ、少なくない違和感を覚えました。

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結局背負わされる十字架

前作までのMCU版スパイダーマンには、前述のサム・ライミ版やマーク・ウェブ版とは決定的に異なる大きな特徴がありました。

それは端的に言うと「自分のミスで身内を死なせたことがない」という点です。要はベンおじさんのことですが、原作コミック由来の必須の要素としてこれまでの映画では描かれてきた「救えたはずの身内の死」がMCU版スパイダーマンでは意図的にオミットされていました。

ベンおじさんと喧嘩して家を飛び出し、町で強盗をみかけるも意図的に見逃したせいで、ピーターを探しに出たおじさんがその強盗に撃たれてしまい、ピーターの腕の中で「大いなる力には大いなる責任がともなう」と言い残して死んでしまう。スパイダーマン映画序盤にはつきものであったこの場面が、MCU版にはなかったのです。

故にシリアスに暗く思いつめたりすることなく、親友のネッドとわちゃわちゃしたり、気になる女の子と微笑ましくラブコメしたりといった「底抜けの明るさ」「若者らしい軽さ」が新しい時代のスパイダーマンとしてMCU版の大きな魅力でもありました。

前段で先輩ヒーローのアイアンマンの死があったと書きましたが、彼は強敵との戦いの中で、全人類を救うために自らの選択の末にヒーローとして命を落としたのであり、そこに理不尽さはなくベンおじさんの死とは意味合いが全く異なります。

ところが本作では、オミットされていたはずのベンおじさんの役割を、あろうことかメイおばさんが担う事になります。MCU版のメイおばさんは、これまでの作品からはだいぶ若返った姿で、元気で威勢のいい美魔女として今シリーズでは重要なコメディリリーフを演じており、彼女の突然の死はインパクトこそあれ、これまでの映画の印象を変えてしまうほど暗い影を落とすことになりました

サム・ライミ版やマーク・ウェブ版のスパイダーマン映画のファンで、本シリーズに物足りなさを感じていた層にとっては、ピーターの肉親の死に、「スパイダーマンはこうでなくちゃ」と感じる向きもあると理解できるのですが、自分のせいで大事な人を死なせてしまったという重い十字架を背負い「大いなる力には、大いなる責任がともなう」という呪いのような言葉に縛られながら、いつだって孤独だったこれまでの映画版スパイダーマンからの脱却を望んでいた筆者にとっては、後述する結末も含めて「結局こうなっちゃうのか」「今まで描かれてきたトニーとの関係性は何だったのか」とやや暗澹とした気持ちにはなりました。

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ワン・モア・デイの衝撃ふたたび

今から10年以上前に出版されたスパイダーマンのコミックスに、「ワン・モア・デイ」(邦訳既刊)というファンの間では悪名高い(?)クロスオーバーシリーズがありました。これは重傷を負い瀕死となってしまったメイを救うため、ピーターが悪魔(メフィスト)に、全人類からスパイダーマン=ピーター・パーカーだという記憶を消してもらう(悪魔は引換えに夫婦となっていたMJとピーターの結婚もなかったことにしてしまいます)という話です。

スパイダーマンに限らず、アメコミでは長期間の連載でネタが飽和状態になると、たまにこういった「今までのことだいたい全部なしよ」という強引なリセットが稀に行われます。死んだはずキャラクターが度々生き返るのもその一端と言っていいでしょう。

『ノー・ウェイ・ホーム』を既にご覧になった方はお分かりの通り、本作のストーリーはこの「ワン・モア・デイ」をモチーフとしていることは明らかです。

こういったリセットは、私見では前述したようなシリーズ継続のための大人の事情に拠るものだと考えていますが、『ノー・ウェイ・ホーム』のラストで行われたリセットも、一区切りついたインフィニティー・サーガから登場するキャラクターやその関係性を一新し、また本作にておそらくシリーズを去るジョン・ワッツ監督から、新たな監督にスパイダーマンのバトンを渡すための「整地」としての展開だったように思えます。

確かに行きたい大学に進み、親友に恵まれ、愛する人と幸せな日々を送る「リア充」なスパイダーマンのその先の展開は、筆者の記憶では原作となるはずのコミックスにもそういったストーリーラインがないため考え出すのも、話の訴求力を出すのも難しそうですが、これまでの「明るく爽やかなMCU版スパイダーマン」が非常に好みだった筆者にとっては是非チャレンジしてほしかった世界線でした。※4作目以降でネッドやMJ(ゼンディヤ演じる)がまた登場し、本作の展開をフリとするなら話は別ですが。

ともかく「皆がピーター・パーカーのことを忘れる」という残酷な結末は、「ワン・モア・デイ」のようにメイが助かるわけでもなく、マルチバースから押し寄せる大量の敵を追い返すためという目的にしてはあまりに救いがなく、若気の至りの罰としては重過ぎるため本シリーズの作風からするとバランスを欠いているように感じました。過去キャラ勢揃いの高揚感が薄れてみると、全てが大人の事情ありきのストーリーだったのではと、そんな気さえしてきます。

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ぐだぐだ長々と書いてきましたが、私の愚痴はひとまず以上となります。

高速道路上でドックオックと戦うあたりまでは、ほんとに楽しかった。

アメコミではいつも不幸になってしまうピーターだけど、MCU版でくらい今度こそMJと幸せになってほしかった。

結局言いたかったのはそれだけです。

お付き合い頂きありがとうございました。

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