人間の本質は遊びにある
「遊びを失ったら文明の終わり」というのがオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガさんの言葉だ。
彼は「遊び」という言葉について世界の主要言語、欧州語、ギリシャ語、中国語、サンスクリット語、日本語などを比較しているのだが、その中でも日本語の「遊び」は現代西洋語によく似ているそうだ。
日本語は「遊び」という言葉ひとつで、様々な概念の遊びを言い表す。子供の遊戯やスポーツはもちろんのこと、機械の力を受ける部分に意図的に設定されている「余裕」部分も「あそび」と称するし、ちょっと昔の高貴な身分(女性)の口語で「~あそばせ」のような使い方もする。このような自由で拡張性のある言語を持つ文化は得てして奥が深い、という主旨のことをホイジンガさんは著作の中で述べている。
日本とは16世紀末からの長い付き合いがあるためか、オランダには日本を理解しようとする雰囲気がある。ホイジンガさんは、「言語」というドアから入って日本の文化の本質たどりつこうとしたのだ。
オランダ運河が象徴するもの
オランダ人は、他の国は神様が造ったけど、オランダの国土は自分たちが造ったと胸を張る。
自慢するだけあって、オランダには干拓の際の水はけ用に建設し、現在は運河として利用している水路が縦横に走っている。あまりに沢山あるので、中には川面よりも低い土地を跨ぐ形になる「頭上運河」なんて代物まである。
そこを船が通うのだ。高速道路の上を交差するように、帆掛け船がゆっくり音もなく走る姿には驚かされた。
オランダという国は小さい。
国土の何割か、それも人口が集中している場所、アムステルダムやスキポール空港のある辺りは常に浸水の危険にさらされている。そういう不自由な土地でありながら、オランダの農産物は国際競争力を有している。そのことが意味するのは、オランダの人々の知的レベルが高い水準にある、ということに他ならない。
ユーモアを重んじる国
「ユーモアの国」を標榜するイギリスで4年半、オランダで1年間暮らしたことがあるが、私の経験ではイギリス人よりオランダ人のユーモアの方が上質である。自分を客観視すること。そして他を貶めることをしないで言う冗談がユーモアというものであろう。文明が相当成熟しないとユーモアは生まれてこない。
オランダに住んでいると、真っ直ぐも良し、傾いていても良し、四角四面にモノゴトを考えなくてもいいだろう、という気持ちになってくる。
下のイラストはデルフト旧教会。
これほどではないが、当地に傾いた建造物は多い。これもオランダ人の遊び、即ち「ユーモア」の一つ。立体的なユーモアである。
デルフトにて
現在(2019年1月)上野にフェルメールが来ているのでデルフトの話をもう少々。
デルフトはフェルメールの出身地であり、画家として活動した場所でもあるが、当地にフェルメールを記念するようなものは殆どない。
下のイラストはフェルメールの代表作「デルフト眺望」に描かれたのとよく似た門でスケッチした。ここの運河は非常に臭かった。
「デルフト眺望」はマルセル・プルーストの著作「失われた時を求めて」に登場する。プルースト自身は1920年に実際にこの絵画を見て、「この世で最も美しい絵画」と評したとか。私も同感である。
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デルフトにはデルフト焼という結構有名なセラミック産業がある。白色の釉薬を下地にして、スズ釉薬を用いて彩色、絵付けされる日本の伊万里焼によく似た陶器だ。ここの職人が一人前になるには3年間の研修期間が必要だ。仕事をしていた職人に「毎日同じような絵を描いてて飽きないのか?」と意地悪な質問をしてみたところ、「ウチには30年以上働いている人間がいるから大丈夫」と言われた。
ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館
17世紀のオランダは、500万枚もの絵画を生産した。
どんな農民の家にも絵が10枚は飾られていたという。絵画は輸出品でもあった。
ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館には、ルーベンス、ブリューゲル、ボッシュ、モネ、ドガ、レンブラント、ゴッホなどの有名画家による絵画が寄せ鍋の如くごちゃごちゃと展示されていてとても楽しい。
館内には現代アートもたくさん展示されている。
↓これもアートのひとつ。展示室の床に大きな穴があり、実物大の人形が頭を出している。
本物はこんな感じ
ライデン大学植物園
オランダに行かれたらここも是非行ってみてほしい。日本の植物をヨーロッパに送った、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトを記念した日本庭園が設けられている。この植物園にはイチョウ、ケヤキ、クルミ、藤、アジサイ、カエデ、ハマナスなどの日本原産植物が植えられている。
シーボルトの句「東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなくとも 春を忘るな」が建物の壁にでっかく記されていた。庭園に栃の実が落ちていたので、拾って日本に持って帰った。里帰りというやつだね。