旗艦とは、艦隊において司令官が乗る船のこと。
日本人に旗艦と言えば、横須賀に鎮座する「三笠」を思い浮かべる人が多いだろうが、英国人にとってはそれが「HMSヴィクトリー」となり、アメリカ人にとっては「USSコンスティテューション」となる。
HMSヴィクトリー
HMSヴィクトリーは、ホレイショ・ネルソンの乗艦。
ロンドンのトラファルガー広場において、高いモニュメントの上から大衆を睥睨している御方がネルソン提督である。
1805年、数で勝るフランスとスペインの連合艦隊をトラファルガーにて撃破。
多数の敵艦を撃沈しながら、自軍の沈没はゼロというまさに完全勝利をおさめた。
この勝利の鮮やかさは、個人的に日本海海戦時の日本海軍の勝利に次ぐものであると感じる。
HMSヴィクトリーは、大砲を100門搭載した大型の戦列艦である。
当時の艦隊同士の戦いは、お互いに横っ腹を見せつつ接近した上で射撃を行うというものであった。
しかしネルソンはこの定石に従わず、二列の横陣に並んだナポレオン艦隊の中央を縦列で突き破った。
艦を縦にすることで的を小さくし、接近したところで近距離射撃を見舞う戦法だ。
大砲は艦の横腹に付いているので、自軍が射撃体勢に入った時には、敵は為すすべがないというわけだ。
敵軍の遠距離射撃が未熟であったことにも助けられて、この作戦は成功した。
ナポレオンの連合艦隊は、真っ二つに分断された後、二十数隻が撃沈させられたのである。
200年以上前に就航した艦であるが、HMSヴィクトリーは今も軍港ポーツマスにあって外洋航行が可能という現役の艦船である。
今から20数年前になるが、私はこのHMSヴィクトリーに実際に乗艦して、船の中を見学したことがある。
英国民の誇りであるだけに、隅々まで実に見事に整備されていた。
上甲板は広く、舷側の壁の高さは優に大人の背丈ほどもあるから、甲板からは背伸びをしないと外を見ることはできない。
甲板で作業する乗組員を守るため、こういった設計になっているのだ。
ネルソン提督は一段高く造られている艦尾から指揮をとったのだろう。
下甲板の天井は低く、身長6尺の私は身をかがめながらでないと歩けなかった。
三笠の中も歩いたことがあるが、この天井の高さは同程度であると感じた。
欧州の中では背の高い英国人も、ひと昔前は今よりも低かったということだろうし、軍艦を造る上での寸法基準はHMSヴィクトリーから三笠の時代までは、同じだったのであろう。
フリゲート艦USSコンスティテューション
ボストンを観光で訪れたアメリカ人の多くはUSSコンスティテューション号を見学することになる。
海上を帆走できる世界最古の現存帆船であり、米英戦争を有利に展開させた立役者でもある。
型は「Ship」で、これは帆柱を3本以上有し、その全てに縦帆を張ることができる帆船を意味する。
フリゲートとはいえ、大砲を50門近く備え、通常の帆船よりも一回り大きく、重装備であった。
艦隊構造材を特殊な組み方にしたため非常に頑丈である。
敵の砲弾が当たっても跳ね返すほどであったことから、「オールド・アイアンサイズ(鉄の舷側)」という愛称を持つ。
普通の艦の舷側構造をみると、縦に並んだ軸木に対して板を直角に張り付けているだけなのだが、コンスティテューションの喫水線以下の部分は、太くて長い材木を何本も斜めに組み込んで補強をしている。
また、大砲が並ぶところの舷側部分、中甲板には太い筋交いが取り付けられており、これも艦体の強化に寄与している。
係留地に大きな資料館があり、その中に、コンスティテューションの補強材の実物が置かれている。
それを見ると、本当に大きくて長いことに感心させられる。
ヴィクトリーとコンスティテューション、そう変わらない時代の船であるが、アメリカではイギリスにはない独自の合理的精神が花開いていたことを物語っている。
余談:ボストン茶会事件
アメリカ独立戦争が始まる前の1773年、ボストン茶会事件というものがあった。
七年戦争の戦費調達目的から、植民地アメリカに増税などの圧力を強める英国に対し、植民地住民の一部が反乱を起こした事件のことだ。
民衆はボストン港に停泊中であった東インド会社所有の船舶に押し入り、積載されていた紅茶の荷箱を海へ大量に投棄したのである。
当初、アメリカでは本国イギリスから独立したいと思っていた人は少数派であったものの、度重なる理不尽な要求に対し、「代表なくして課税なし」の原則を求めて多くの住民が立ち上がり、やがて独立戦争へむかっていった。
ボストン茶会事件はアメリカ独立運動を象徴する歴史的事件となった。
現在、ボストン港には、襲撃を受けた東インド会社の船を復元したものが浮かんでいる。