それまでは、東洋の方が豊かであった。
大航海時代に西洋が世界の海を支配するに至り、世界の重心は西洋に移動して今に至る。
大きなターニングポイントとなった「大航海時代」を始めたのはポルトガルである。
環境に恵まれていたこと、ポルトガルの王子エンリケ(1395~1460)という優れたリーダーがいたこと。この二つの要因が、先駆者(パイオニア)の栄誉をポルトガルに与えた。
恵まれていた環境について
言うまでもなくポルトガルは大西洋に面している。大航海時代とは、イスラムが支配していたインド洋から地中海東部を回避して、大西洋航路を本格的に利用した時代のことと言える。主役となった大西洋に面していたのは、当然ながらおあつらえ向きの条件であった。
また、ポルトガルは距離的な関係でアフリカ大陸の情報が入りやすかった。イベリア半島におけるイスラム勢力の5世紀にも及ぶ長い支配の間に、数学、地理学(地球が球体であるという知識を含む)、航海術が浸透した。半島のイスラム教徒は他の宗教に対して寛容であった。
加えて経済力のあるユダヤ人の存在と、ジェノバ人の支援を得ることができたことも大きい。
エンリケ王子の功績
エンリケ王子は自国の拡大を志向し、造船、天体観測、航海術の教育に力を注いだ。造船技術は発達し、カルヴェラという大型の優秀な船の開発に成功していた。この船のおかげで遠洋航海が出来るようになった。彼はまた、当時横行していた様々な迷信を打ち破る努力をした。マルコ・ポーロの「ジパング」を熱心に読んで、いつかは日本へと夢をふくらませた。
比較的近いアフリカ西海岸航路の開拓が始まり、そこからの富、金や香料がポルトガルにもたらされ、かの国は経済的に豊かになった。
王子の没後、ポルトガル出身の船乗りは西海岸ルートを下り、やがて喜望峰を発見(1487)、さらにバスコダガマによるインド航路の開拓(1497)を成し遂げる。
これらの大航海には沢山の男の命を代償として奪うという負の側面があった。元々人口の少なかった国は急激な人口減少により衰退に向かっていく。
(イラスト・文: YOGI age71)