※ネタバレあり(前作も)の上批判的です。未見の方、熱烈なファンの方はご注意ください。
最初にお断りしておきますと、この記事は『ファンタスティック・ビースト:黒い魔法使いの誕生』を見て「すごく面白かった」と、幸せな気分に浸っている方はこの先読むのをご一考ください。筆者もこの映画をそれなりに楽しんだのですが、こうして整理してみると主にシナリオについて文句ばかり言ってるようにみえてしまうかもしれません。これはひとえに筆者が、『ハリー・ポッター』シリーズに思い入れがないことが一因としてあります。ハリー・ポッターの原作小説は一通り読了し、映画も前作『ファンタスティック・ビースト』含めて全部一回ずつ鑑賞しましたが、世界観は好みであるものの、あんまりピンとくるものがなくここまで来ております。そんな状態の四十路の男の感想文です。
気に入ったところ
本作の魅力はなんといっても、ジョニー・デップ演じるゲラート・グリンデルバルドにつきるんじゃないですかね。
冒頭の脱走シーケンスに始まり、とにかく多い出番のその全てにおいて「強さ、悪さ、カッコよさ」三拍子揃った悪役というのも最近では珍しいです。
俳優と役の相性がいいと、こうまで魅力的なキャラクターになるという見本ですね。たくさんの子供が鑑賞する映画で、悪役が「非道」を行い、恐れられる所以を示すことはとても難しいと思うのですが、直接的な描写こそないものの製作陣はギリギリののころまで踏み込んだと思います。具体的に例を挙げると序盤の隠れ家を確保するところとかですが、彼は相手を何を思って見つめていたのか、逆の展開が来ると思っていたのでギョッとしました。
佇まいの美しさはジョニー・デップという俳優の特性に依るところが大きいですが、衣装やデザインも凝っていて素晴らしい。ホットトイズのフィギュア購入を絶賛検討中です。
「強さ」の示し方もよかった。クライマックスの場面での、それなりに聞きごたえのある演説からのあの魔法。壮観という他ありませんでしたな。
続編にとって肝要な主人公ニュートの掘り下げも、うまくいっているようにみえました。
前作では「ちょっと変わった兄ちゃん」という入り方で、人となりを把握するのに時間がかかったんですが、今回は兄貴との関係性や、恩師、昔の恋人などの登場で、「内気だけど、優しくて凄腕のビーストテイマー」というキャラクターを多相的に紹介することによって、前作以上に好感が持てる人物として描けていました。
むこうを張る強烈な悪役との対比としても清涼剤としてバランスがとれていましたね。
総じて、この陰と陽の二人のメインキャラクターが素晴らしかったので、この映画おおむねOKという見方も当然できると思います。
あ、忘れるところだったリタ・レストレンジもよかったです。どこかで見た好ましい人だと思ったら『マッドマックス:怒りのデスロード』で銃の整備がうまかったワイヴスの一人でした。確かレニー・クラヴィッツの娘さんなんですよね。さすが(何がだよ)
ロジックが不足気味
さて、ここからは愚痴っぽくなります。
まず、製作陣に聞いてみたいのは、この『ファンタスティック・ビースト』。驚くことに5部作を予定しているらしいのですが、ストーリーは5作分、大筋だけでもすでに用意されているのでしょうか。
と、いうのもですね、あくまで僕個人の勝手な印象ですが一作目がヒットしたので急いで風呂敷広げたような印象をストーリーのあちこちに受けるのです。
クリーデンス(エズラ・ミラー)なんて前作で完璧にこれ以上ないくらい見事に死んだはず、むしろ死んだからこそ前作のラストが盛り上がったと思うのですが、大した説明もなく蘇っているし、本作で明かされる彼についての真実も、もうちょい伏線張った上でないと「また後出しか。」との印象が拭えません。
ジェイコブの再登場もね。確かに一作で終わらせるには惜しいキャラクターなのは分かりますし、再登場のさせ方もそれなりにうまくやっていましたが、前作での雨の中での綺麗な別れ、伴う感動はなんだったのかとやっぱり思ってしまいます。
そもそも、ハリー・ポッター時代も含めて、ちょっとまどろっこしい話が多いんじゃないかなと。新しいエピソードの度に、これまでは聞かされていない設定が割と唐突に説明されて、ソリューションのためのアイテムなり人物なりを探して回る話ばっかりです。
それでなくとも既に正体が明かされてしまってるラスボス倒すためにいったい何作費やすつもりのかと。
あのダースベイダーだって、サウロン(ロードオブザリング)だって、倒すのに3作しかかかってないんですよ?しかも、小説によるとグリンデルバルドの最後は、ニュートに倒されるわけじゃないのです。スターウォーズのプリクエルのように、最後に「新たな悪誕生」って、5本の映画の結末としては相当収まりが悪い気がします。
言っても詮無いことですが、たとえシリーズものの映画だったとしても、商業的な理由以外の存在意義がちゃんと欲しいです。DC映画でキナ臭い話が色々聞こえてくるワーナー配給ということもあって、映画の連作化ありきで物語がおざなりになっていないかと勘繰ってしまいます。
映画版ハリー・ポッターは、原作小説が当初から連作を予定しており、少年が学校に入学してから卒業までの成長を描くという理屈がつけられましたが、今シリーズは、それもないのでかなり心配です。まあ、これは「5作本当に作ったとしたら」という仮定の上での話ですが。
ダンブルドアを何とかして欲しい
今回ストーリーの鈍重さに一役も二役も買ってるダンブルドア。
役者としてのジュード・ロウになんの文句もありませんが、演じるキャラクターは相変わらず説明不足が過ぎる御仁です。前シリーズでは年取ってるからかと思ってましたが、若い頃から性分は変わってないんですね。鑑賞中「お前、わかってること最初からニュートに全部説明しろや!(将来的にハリーにもな!)」と何度思ったことか。教え子を命の危険に晒すのに、しかも自分の尻拭いのような仕事をさせるのにホント信じがたいです。
最強の魔法使いと言われながらも、ある理由からグリンデルバルドと戦うことができないダンブルドアですが、「直接戦えなくても、行ってお手伝いは色々できるのでは?」とか疑問はつきません。
シリーズ通じてこのダンブルドアというキャラクターは狂言回し、いわば原作者の影なんだと思いますが「回し」が説明的な上に強引すぎるのは、もはや作家性と諦めるほかないのでしょうか。
まとめ
シナリオについての苦言を書き連ねてしまいましたが、そもそもこの手の映画は「ディズニーランド」のようなもので、雰囲気を楽しめたんならそれでいいって考えが世の大半で、苦言はお門違いのよう気がしないでもありません。撮影や美術、VFXは前シリーズ同様に迫力満点で、どっぷり世界観に浸る楽しみ方がしたいのであれば、本作も期待に120%応えてくれるでしょう。IMAX3Dでの鑑賞が特におすすめです。
キャラが渋滞していて誰が何の思惑で動いているか分かりにくいとか、その割に話が進んでないとか、主人公が切り札のモンスターを使うのが早すぎるとか、他にも言いたいことはたくさんあるのですが、青い炎の中で佇むグリンデルバルドはとにかくカッコよかった。好みの悪役が誕生したという点だけでも劇場で鑑賞する価値はあったのかなと思います。
75点(うちグリンデルバルド加点10点)