【ネタバレあり】「キャプテン・マーベルはスーパーマンになれたのか問題」を検証する:後編

【ネタバレあり】「キャプテン・マーベルはスーパーマンになれたのか問題」を検証する:後編

本稿は、前回の記事の後編です。また、前回同様、2019年3月公開映画、アンナ・ボーデン 、ライアン・フレック両監督作品『キャプテン・マーベル』について、ならびにこれまでのMCU映画についてこれでもかってくらいネタバレをしています。未見の方はご注意ください。

シリーズとの整合性

キャプテン・マーベルのパワーの所以を、MCUがシリーズを通して描いてきたインフィニティストーン由来にしたこともそうですが、映画『キャプテン・マーベル』のストーリー自体、時系列をシリーズ第一作の『アイアンマン(2008)』より前にするという、相当リスキーなことをやっているにも関わらず、前日譚として、矛盾がほとんど生じていないという点もかなり評価できます。これまでの映画に登場した人物や要素を尺として多めに扱っているにもかかわらず、です。

『キャプテン・マーベル』に登場した、これまでのMCUに既出の要素のうち主だったものは以下の3つ、「四次元キューブ(スペースストーン)」「ニック・フューリーとエージェント・コールソン」「ロナン、コラスをはじめとするクリー帝国の軍勢」です。

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四次元キューブの所在

なんといっても本作『キャプテン・マーベル』が絶妙なのは、時代設定を1995年にしたことです。

MCUの世界では、1945年にキャプテン・アメリカがレッドスカルとの戦いの末に行方不明になり、捜索に当たったトニー・スタークの父親であるハワードが四次元キューブを回収しました。『キャプテン・アメリカ:ザ・ファーストアベンジャー』での描写や『アイアンマン2』に彼のノートが登場していることから、ハワードはその後この四次元キューブの研究を専門的に行っていたことが判ります。以降2012年の『アベンジャーズ』でロキに奪われるまで、四次元キューブはS.H.I.E.L.D.が管理していたことにこれまでは一応なっていました。しかし本作で、少なくとも1980年代の後半から四次元キューブは本作に登場するクリー人の科学者ウェンディ・ローソンの管理下に置かれていたことに変更されています

本作の時代、1995年は、四次元キューブに並々ならぬ関心を寄せていたハワードは1991年に暗殺されてしまっているため(『シビルウォー:キャプテン・アメリカ』)既にこの世の人ではなく、1945年当時を知るエージェント・カーターらも70歳を優に超え現場を退いていると考えるのが自然です。要するに四次元キューブが如何に重要なものか知る証人が、本作には「いない」ってことに出来るわけです。

キャロルが事故に遭った1989年はまだハワードも生きているはずなので、どういった成り行きであんな危険なものが外部に出てしまったのかS.H.I.E.L.D.の管理体制が心配になりますが、1940年代のレッドスカル以降目立った脅威がなかったので、組織自体弱体化していたとか、理由はいくらでもつけられそうです

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S.H.I.E.L.D.の面々

また本作に登場する後のS.H.I.E.L.D.長官ニック・フューリーとエージェント・コールソンですが、登場した際は宇宙からの脅威に対して半信半疑で、キャロルとの交流を通して、認識を新たにしていくという描かれ方をしています

思い返してみれば、ニック・フューリーはシリーズ一作目『アイアンマン』のポストクレジットシーンで初登場して、トニー・スタークにおもむろに「アベンジャーズ計画」について話していましたが、なぜ彼がその計画を立案するに至ったかはこれまで説明されていませんでした。前述した通り、レッドスカル以降目立った脅威はないわけですから、「スーパーパワーを持つヒーローを結集しなければ」という思考になぜなったのか、確かにちょっと不自然です。アイアンマンの登場前に彼が本作のような事件を経験していたのなら、むしろその方がしっくりくる、というわけです。

そしてガーディアンズ・オブ・ギャラクシーへ

本作のクライマックス。ロナン・ジ・アキューザーの率いるクリー帝国宇宙艦隊スターフォースと、キャロルの大立ち回り。

あまりにキャプテン・マーベルが強いので、人によっては「やりすぎ」という声もあがっているほどですが、この場面は次作『アベンジャーズ:エンドゲーム』において、キャプテン・マーベルが鍵を握る戦力になり得る、もっと言うとサノスを倒しうる力を持っているということを示唆する他に、シリーズ屈指の人気作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー(2014)』への伏線を張りなおす、ということもしています。

映画序盤でジュード・ロウ演じるヨン・ログとの立体映像通信でシリーズ再登場となったロナン。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』では他に類を見ない凶悪なキャラクターとして名を馳せた彼ですが、時系列でそれより前になる本作では、傲慢で好戦的ではあるものの、まだ落ち着きのある理性的な将官として描かれています。特徴的だったおどろおどろしい目の周りのメイクも、まだ施していない様子。

そんな彼が、勝って当たり前の戦いで、自らの率いる艦隊を、スーパーパワーを持った一人の女性に壊滅させられたとしたら、プライドはへし折られ、力への欲求に取りつかれ、より排他的かつ急進的な思想に陥ってしまったとしても無理ありません。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』での仕上がりも頷けます。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のロナン誕生には、キャロルの大活躍は必須だった。

前段のニック・フューリーの「アベンジャーズ計画」もそうですが、後付けされて、むしろその方が自然かもしれないという見事な前日譚になっています。

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キャプテン・マーベル不在の理由

記事の前編でポイントの一つに挙げた、シリーズのファンなら誰もが感じるであろう「そんな強いヒーローなら、今まで何してたの?」という疑問。

映画の回答は、「クリー帝国によって滅亡の危機にあるスクラル人のために、新天地を探しに行っている」というものでした。MCUが現実とほぼ時の流れを同じくしていることを考えると、1995年に出発して、2019年まで24年間もキャプテン・マーベルは地球を留守にしていることになります。

『アベンジャーズ:エンドゲーム』にてこの期間について何らかの説明があるのかもしれませんが、アメコミファンとしては「クリー帝国周辺で人道活動を行っている」と言い換えられるこの理由は、「そりゃ時間かかるかもな。」と思えるものです。まず広い宇宙の中から、スクラル人の居住に適した星を発見すること自体容易ではないでしょうし、仮に見つかったら今度は、クリー帝国の影響の及ぶ範囲からスクラル人たちの脱出を手伝うのが自然ななりゆきのはずです。

映画では説明はありませんが、クリーという国は数千の惑星からなるマーベル世界においても最大の勢力を誇る星系国家です。その内外で擬態して隠遁生活を送っているスクラル人を探し出し、適当な宇宙船で移動させるのは並大抵のことではないでしょう。ちなみに地球がある銀河の差し渡しの距離はは約10万光年とも言われています。キャプテン・マーベルが光の速さで飛べたとしても、宇宙の広さにしてみれば24年間なんてあっという間のはずです。

よしんばキャプテン・マーベルは脱出のことまでは手伝わないとしても、発見した新天地がポケベルの電波が届く銀河2つより向こうにあって、これまでニック・フューリーは毎回地球の危機に呼んではいるものの「圏外」のせいで気付かなかったのかもしれませんし、すぐ戻ってきたつもりだったとしても、クリストファー・ノーラン監督の『インターステラー』に登場する星みたいに、ブラックホールが近いせいで、その星での1時間が地球の7年みたいなところにうっかり立ち寄ってしまったのかもしれません。

事ほど左様に、余白の多さ、説明が足りないのは必ずしも褒められたことではないですが、どうとでも理由がつけられるようにしてある、という点で本作の製作陣は「うまいことやっている」と言えます。

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キャプテン・マーベルはスーパーマンになれたのか

本作に否定的な方々のレビューを拝見してますと、一番多い論調として「キャラクターや、関係性の描きこみ不足」というものがあります。

確かに僕も観ていて、キャロル・ダンバースという女性の性格がよくわからなかったり、今はもういないという彼女の地球人の家族、またはヨン・ログやローソン博士、マリア・ランボーとの絆について、記憶のフラッシュバックだけでなく、もっと掘り下げたシーンがあった方がいいなと感じました。

また、キャスティングや映画のテーマそのものも、人種・性別差別反対というメッセージが強すぎるきらいもあります。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』に倣ったようなコメディー描写や音楽の使い方も、ところどころ(深刻に)スベッているように感じました。(ニルヴァーナの使いどころとかね。)

とはいえ、ヒーロー映画としてちゃんと熱くなれるシーンはありますし「シリーズのクライマックス前に、チート級のキャラをリリースする」という、やり方を一歩間違えればMCUシリーズ全体の成否を問われてしまうような高難易度のミッションを、僕が前編と後編二回に分けてグダグダと書き連ねてきたように、本作の製作陣はなんとかソフトランディングさせているわけでして、その点だけでも十分賛辞に値すると思います。

これで彼女、キャプテン・マーベルが『エンドゲーム』にてサノスをぶっ飛ばしても、そんなには違和感がなくなりました。

本稿のテーマ、「キャプテン・マーベルはスーパーマンになれたのか?」というイシューですが、結論としましては、「まあまあ、なれてた。」といったあたりです。何やら煮え切らなくて申し訳ありませんが、鑑賞前は正直「9割がた無理」という予想でしたので、僕の中では驚きの結果です。

以上、長文駄文失礼いたしました。

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