注意:本稿は映画『イエスタデイ』の感想記事です。物語の根幹に関わる重要なネタバレを含みます。
もし偉大なアーティストの作品を、自分のものとすることができたなら。
ダニー・ボイル監督最新作『イエスタデイ』は、そんな誰もが気分よく酔っ払った帰り道とかにボンヤリ思い描いたことがあるような虚ろな夢を、映画化したものです。
主人公のインド系イギリス人ジャック・マリック(ヒメーシュ・パテル)は鳴かず飛ばすのミュージシャン。彼のステージを真剣に聴いてくれるのは幼馴染でマネージャーのエリー(リリー・ジェームズ)のみ。ジャックは己の才能に見切りをつけ定職に就く事を決意し、そのことをエリーに伝えますが、その夜世界規模で突然原因不明の停電が発生。そしてジャックはその停電と同じタイミングで交通事故に遭遇してしまいます。病院のベッドで目が覚めるジャック。幸い怪我はたいしたことがなくすぐに日常に復帰しますが、世界は停電の前と後で、同じように見えても劇的に変化してしまっていました。
そこは誰もがビートルズを、彼らの名曲の数々を知らない世界。混乱するジャック。周囲の人間はジャックが奏でるビートルズの楽曲を彼自身のオリジナルと信じて疑わず、彼がSNSで配信したビートルズ曲の動画はあっという間に世界中の音楽ファンの心を掴みます。最初は強固にビートルズの存在を主張していたジャックも、今まで得られなかったミュージシャンとしての成功に背を向けることができず、降ってわいた「ジャック・マリック」ブームに身を委ねてしまいます。
ずっと一緒だったエリーと離れ、生き馬の目を抜くショービジネスの世界へ巻き込まれていくジャック。他人の功績を我がものとして進む栄光の道は、やがて罪悪感と虚しさで彼の心を追いつめていきます。秘密を打ち明けることができず、孤独に悩むジャック。脳裏に浮かぶのはどんなときでも自分を励ましてくれていたエリーの笑顔。しかしエリーの隣にはもう他の誰かの姿が…。
ってな感じのお話です。
薄すぎてあまり味がしない
監督は英国きってのヒットメーカー、ダニー・ボイルで、ビートルズがテーマの恋愛映画となると、ジュリー・テイモア監督『アクロス・ザ・ユニバース』やジョン・カーニー監督『シング・ストリート』あたりを連想して、いかにもウェルメイドな、デート向きな作品を予想して映画館に赴いた方も多かろうと推測しますが、本作はそういった語弊を恐れず言えば「ライトな」ニーズにはちゃんと応えている映画だということは言えます。アレンジはされているものの原曲の良さを損なうことなく奏でられるビートルズの楽曲は、有無をいわさず観客を惹き込む魅力がありますし、ヒロイン役のリリー・ジェームズはとにかく可憐ですしね。
ただ筆者のような、ビートルズに多少なりとも思い入れと予備知識があり、またストーリーの粗探しが好きな拗らせた映画ファンからすると、『イエスタデイ』はSF風音楽ラブコメ映画として、しょっちゅう勘どころを外しているような、煮え切らないボンヤリした印象を受けてしまう作品でした。
「目覚めたらそこは誰もがビートルズを知らない世界」、SNSで話題になったように昔似たような設定のかわぐちかいじのコミックがありましたが、主人公が異世界に転移し、そこで特殊能力が身についているという所謂「なろう系小説」的展開を受け入れるとして、この異変の説明が一切ないのがまず気になります。どんなトンデモ理論でもいいからそれなりの理屈付けが欲しかったですね。
「停電後の世界」では、ビートルズ以外にもオアシスの存在が消えてたり「ああ、ビートルズの影響が強い(とされている)ミュージシャンはいないことになるのか。」と思いきやどっこいエド・シーランはそのまま存在するし、コカ・コーラだったりハリー・ポッターだったりと直接ビートルズとは関係なさそうなコンテンツまで消えているので、脚本家のやりたいことがよく判りませんでした。単にビートルズの音楽面の影響の大きさを描きたいなら、大衆のポップスやロックに対する認知や、音楽界の勢力図を思い切って現実からかけ離れた様子で描いてしまう方が良かったと思います。
また映画で使用されるビートルズの楽曲も、登場人物の心情や、曲が生まれたエピソード等にあんまりリンクしていないと思いました。終盤の「ヘルプ!」くらいですかね。そもそもメインタイトルの「イエスタデイ」が原曲が「喪失」がテーマの歌なので、内容的に一部にしかそぐわない感じがしますし、その他の曲の扱いもダイジェスト的というか、少し雑に扱われている残念な印象を受けました。
劇中の並行世界では生存しているジョン・レノンの登場で製作側の意図が見えた気もしましたが、主人公の救済という物語上最重要なポジションにジョンを置く割に、要所ではポール・マッカートニーの曲が使われるという点も、細かいところですがちょっと首をかしげたくなりました。ジャックが自分を取り戻し、幸せなエピローグシーンで流れるのが「オブラディオブラダ」ですし、エンディングも「ヘイ・ジュード」ですしね。どっちもポールの曲です。ついでに言うとエド・シーランをビビらせる「ロング・アンド・ワインディングロード」もです。
メインストーリーの主人公ジャックとエリーの恋愛模様も、あまりにジャックに都合が良すぎるというか。ずっと個人的な好みの話をして申し訳ありませんが、謝罪と愛の告白を公の場で同時に行うって、どうなんですかね。僕はあの場面、「頼むからやめてくれ。」と座席から逃げ出したくなるような思いで観てました。
総じて最初に挙げた「ビートルズをみんなが知らない世界」というワンアイデアを、世界観を深く掘り下げず、ストーリーもあまり練らずに急ごしらえしてしまったような、リリー・ジェームズの可愛さだけが世界レベルで、一時期国内で量産されたケータイ小説原作映画と大差ない薄味の恋愛映画に感じました。
大きな期待をしていた割に、結果的にあまり好みの作品ではありませんでしたが、大画面でジョン・レノンがちゃんと歳とって動いている姿はちょっと胸に迫るものがありましたし、世間の本作への評価は上々ですので、気になっている方はこんな場末のブログの世迷言などお気になさらず、是非劇場に足を運んでみてくださいね。
総評:75点(うちリリー・ジェームズとエリス・チャペル演じる姉妹による加点25点)