あの日何があったのか。
知らなかった人にとってはまるで漫画のような話に聞こえるかもしれませんが、QUEENというバンドには、30年以上前の出来事なのに、ロックファンの間でいまだに語り継がれている「伝説のライブ」があリます。
ちょっと年配のファンに、「QUEENのベストパフォーマンスと言えば?」と聞けばだいたい同じ答えが返って来るだろうし、僕のように、たとえオンタイムの洋楽ロックキッズじゃなくても「1985年のライヴエイド」と言えば、その日何が起こったか聞いたことはあります。googleで「1985 クイーン」などといったキーワード検索をかけてみれば、おそらくこの映画とは無関係にクイーンのライヴエイドでのパフォーマンスについて書いた記事がたくさん見つかるはずです。
イギリスのBBCをして「歴史上最も偉大な演奏」と呼ぶ1985年7月13日ウェンブリースタジアムでのQUEENのパフォーマンス。
とはいえ、伝説のライヴといっても、今となっては(当時もか)現地ウェンブリースタジアムで生で見れた人は多くありません。
QUEENという才能溢れる世界的バンドと、天才シンガーでパフォーマーのフレディ・マーキュリーの、キャリア、人生の全てを集約したかのような伝説のライブを、まるで現地でしかもステージ上に一緒にいるかのように擬似体験できる、それがこの映画の真価です。
ストーリーの構造
「1985年のライヴエイド」ラスト20分のハズしようがないクライマックスを、よりドラマチックにするために、フレディ・マーキュリー1人にスポットライトを当て、史実を脚色し、時系列を入れ替えていわば「大河ドラマ」的に仕上げたものが今作のストーリーです。
公開から既に日が経ち、史実と本作との齟齬の考察記事は巷にたくさん出回っているので詳細については省きますが、こういった、公に判っている史実をある意味都合よく作り変える手法に否定的な見解も多いのは理解できます。僕自身もあまり上品なやり方とは思いません。フレディ・マーキュリーの病気を使わなくても、史実通り、サンシティ問題などで落ち目になりかかっていたQUEENが、色々策を練って1ステージで一発逆転した、ってことでも充分映画として成立したと思うからです。
ただ、本作のストーリーは、焦点となる人物を1人に絞り、フレディ・マーキュリーの人間としての孤独をことさらに描き出すことによって、観客にとって非常に分かりやすく、感情移入しやすいつくりになってはいます。孤独な男が、紆余曲折を経て、やがて本当に大切な「家族」の存在を再認識し、再起して生涯のベストパフォーマンスを見せる物語。このわかりやすい誘導のおかげで、出演者、製作陣が文字通り血のにじむ努力で作り上げたであろうクライマックスのライヴシーンの輝きが増し、世界中でたくさんの観客が目にすることに繋がり、結果、この映画が現代に再びフレディ・マーキュリーを蘇らせることに成功していることは否定できません。
映画が描き出したもの
話が脇にずれますが、僕はフレディ・マーキュリーが死んだ1991年、イギリスのロンドンで暮らしていました。当時通っていた中学校は、フレディが学生時代アートを学んだカレッジの近くにありました。ライターネームのアクトンボーイは、その地名に因んだものです。
フレディ・マーキュリーの死の直前、イギリス国内のQUEENを取り巻く雰囲気はあまり良いものではありませんでした。フレディ自身は公の場に一切でてくることがなくなっていましたが、タブロイド紙を通して伝わるHIVへの偏見、同性愛者への揶揄。フレディの名は、ロックアイコンとしてというよりも、彼の私生活や病気によって囁かれることの方が多く、僕も含めた同級生の間では悪い冗談のネタになったりしていました。詳しい病状は世間に伏せられていたため、唐突に感じた彼の死後、世間が手のひらを返したように彼を持ち上げ、追悼アルバムが大ヒットしたことに、どことなく居心地の悪さを覚えたことが記憶にあります。
映画を観て改めて感じることは、フレディ・マーキュリーを彼たらしめているのは、セクシャリティーや病気などではなく、ひとえに彼の音楽性と、ステージ上でのパフォーマンスに依るものだということ。悲壮感に溢れた晩年の姿より、「1985年のライヴエイド」のフレディ・マーキュリーこそ、記憶に残してほしい。QUEENのメンバー、彼と親しかった人たちの願いが結実したような作品でした。
85点